ベストアンサー
開国したばかりの日本は、憲法が制定されていないことから、徳川幕府の時代に結んだ不平等条約を改善することと、国際的な約束事(条約)を結ぶにあたり欧米と対等な関係を目指して、西欧諸国の定める憲法を学び、日本でも世界に通用する憲法を定めることになった。この過程で市民政府が開いたフランスの憲法と日本と比較的政治形態が似ていたプロシアの憲法を取り入れることにして留学生を派遣し、大日本帝国憲法が制定された。 というのが「大日本国帝国憲法」制定のいきさつだと思うのですが、法学的な観点だとすれば、 ①欧米列強と対等になるため、欧米の制定する憲法を採用。 そのために留学生を西欧諸国に派遣した。 ②国際法上の対等を実現するために急ぎ西欧並の法制度を整備した。 この原点が対日本帝国憲法である。 ③憲法制定にあたって、日本と統治機構がよく似たプロシア憲法を学んだ。 民法などは当時進化していたフランス民法を参考に制定した。 これが大日本帝国憲法がワイマール憲法とフランス民法の特徴を持つ理由である。 と言ったところでしょうか?法学的ですかね??
「対→×」「大→〇」西洋の歴史に疎いので時系列あってないかもしれませんが、ご了承いただけない部分はググったりうぃきを見たりしてください。
質問者からのお礼コメント
箇条書きの部分もあり、とても分かりやすいです。ありがとうございます!
お礼日時:5/22 17:32