ソ連解体時にワルシャワ条約機構やバルト三国はロシアの影響下に置くことは可能だったのでしょうか?
ソ連解体時にワルシャワ条約機構やバルト三国はロシアの影響下に置くことは可能だったのでしょうか?
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1990年3月リトアニアがソ連からの分離独立を宣言 それに対しソ連は経済封鎖し圧力をかけたが、リトアニア人たちは耐えた しかしリトアニアでは急進的なランズベルギス・リトアニア共和国最高評議議長とソ連と交渉して独立を認めさせようとするプルンスキーニ首相が方針で対立 1991年1月8日プルンスキーニ首相が辞任 1月8〜9日深夜、バルト三国に近いプスコフに駐留する第76親衛空挺師団の一部とKGBスペツナズのアルファ部隊がリトアニアの首都ヴィリニュスに派遣される 派遣目的はリトアニア・ソビエト社会主義共和国の秩序回復とリトアニア・ソビエト憲法の回復 1月11日ソ連空挺部隊がリトアニア国防省とプレスセンターを占領 集まってきた市民に対し発砲、負傷者が出る 次いでソ連空挺部隊はリトアニア南部のアリートゥス、北西部のシャウレイのリトアニア国防省管轄の建造物を占領 リトアニア共産党本部でリトアニア・ソビエト社会主義共和国国家救済委員会の設立とリトアニア唯一の合法的政府であると宣言 ソ連空挺部隊、ヴィリニュス駅とテレビ翻訳センターを占領 1月12日ソ連国防副大臣アチャロフ将軍がヴィリニュスに到着し派遣部隊を直接指揮下に ソ連空挺部隊、ヴィリニュスのリトアニア内務省のOMON(治安部隊)駐屯地制圧 次いでリトアニア警察を制圧しようとしたが、抵抗される この頃にはリトアニア人市民が重要な建造物を確保しようと行動を開始 リトアニア共産党の国家救済委員会が秩序回復を宣言 1月14日空挺部隊とアルファ部隊がテレビ塔占領に向かうが、阻止しようとする市民と衝突 市民14名が発砲により死亡 この際、この行動に疑問を抱くアルファ部隊員が同士討ちにより1名死亡 これらの衝突はリトアニア人により海外に報道 ノルウェーが国連に訴えたが アメリカは湾岸戦争開始直前で反応は鈍かった しかし最終的にソ連は部隊を撤収し制圧を断念、リトアニアを含むバルト三国の独立を容認するようになった
ゴルバチョフは穏健派に見えてこのような弾圧をおこなっていたのでしょうか? それともゴルバチョフの意思とは関係なくソ連軍がやったのでしょうか?
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:5/19 0:25