ある質問に「信号を渡る」という表現は正しいかどうか、というものがありました。 ベストアンサーを含むほとんどの回答はこれを間違いとし、「歩道を渡る」が正しい表現だとしていました。
ある質問に「信号を渡る」という表現は正しいかどうか、というものがありました。 ベストアンサーを含むほとんどの回答はこれを間違いとし、「歩道を渡る」が正しい表現だとしていました。 しかし、「信号を渡る」という表現は「扇風機が回る」や「明日は学校がない」、「鍋を食べる」など、いわゆるメトニミーに相当する表現であり、間違いではないと思います。皆さんはどう考えますか?
ベストアンサー
これは難しいですね。個人的にはメトニミーが成り立つケースだと思いますが、少しおかしな表現と考える(メトニミーが成立しないと考える)人もいるかもしれません。 メトニミーが成立するには、その言葉が示すものと密接に関係した、関係が不可分の事柄でないといけないわけです。 「ヤカンが沸いてるよ」というのは、実際に沸いているのはヤカンの中のお湯なのですが、ヤカン=湯を沸かすためのもの、と「ヤカン」と「湯を沸かすこと」の間に密接な関係があるからおかしく感じないわけです。これが「フライパンが沸いてるよ」だと「?」となります。 「ベートーベンを聴く」は、ベートーベンは人間ですから「聴く」対象ではありませんが、ベートーベン=音楽作品を作曲した人、ということを誰でも知っているから意味が通じます。「ピカソを聴く」では、ピカソと音楽作品に密接な関係があるとは了解されていないのでメトニミーが成立しません。 「昨日は一日中テレビを見ていました」と聞いて、この人は何も映っていないテレビの受信機を一日中見つめていたのだと考える人はいません。テレビ=電波で送られてくる映像番組を見る道具、ということを誰もが知っているから、テレビの「番組」を見ていたのだな、と理解できるわけです。 お訊ねのケースの場合、「信号=歩行者が道路(横断歩道)を渡れる渡れないを指図するための装置」という密接不可分の関係があるかどうか、というのがメトニミーが成立するための条件になります。 個人的には、これはメトニミーが十分に成り立つケースだと思います。ツービートの往年のギャグ「赤信号みんなで渡ればこわくない」って、(事の正誤ではなく日本語の使い方として)間違った言い方なんですかね。 ただ、信号を「歩行者が横断歩道を渡る渡らないを決める装置」という具合にはイコールで認識し得ない人もいるとは思うんですよね。車をよく運転する人にとっては、車が「青信号を渡る」と言わないことはないけれど、「渡る」より「進む」という方が一般的かと思いますし、鉄道にも船舶にも信号はありますしね。 「ヤカン」と「湯を沸かすこと」と同じレベルでは、「信号」と「人が横断歩道を渡ること」とはそこまで密接不可分の関係ではないのかもしれません。少なくとも、その二つのことが即座にイコールの関係として認識できない人にとっては、違和感を感じる表現と受け取ってしまうでしょう。 あと、「文脈」の問題もあります。大勢で道を歩いていて「皆さん、この信号を渡ってください」と言われても誰も奇異に思いません。 しかし、「信号を渡る」という一文だけ切り取って提示されて、この表現おかしくないですか、と正面切って訊ねられたら、そう言われてみると変だよね、という反応になるのも仕方ないのかな、と思います。
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