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2022/5/20 5:11

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日中戦争の目的は何だったのでしょうか? 日本は膨大な兵力を送り込み、盧溝橋から数えて終戦まで8年も戦いました。一体何の為に戦ったのか、何が欲しかったのか、、、教えて下さい。

日本史205閲覧

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ちなみに政府による目的は表面的には三度にわたる近衛声明に見て取れます。 戦争開始・北支派兵決定においては「暴支膺懲」でした。、中国が悪いことをするので懲らしめるというものです・ そして本格化して第一次声明が「国民政府を相手にせず」。おかげで講和の方策を自ら失いました。 さすがにそれはまずいと感じて第二次声明が「東亜新秩序」の建設。 第三次声明となると「善隣友好・共同防共・経済協力」で派兵時の理由や第一次声明とは正反対です。 実にご都合的で行き当たりばったりでした。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

有難うございました。納得です。

お礼日時:5/26 13:19

その他の回答(8件)

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当時は欧州列強の植民地時代でした。 西洋の模倣をした明治以来,日本もその流れにのりました。 ただし,支配や奴隷のように現地人を使うのと違って初めから同化政策をとったことは知っておいた方が良いでしょう。 また,日本は和平を何度も働きかけた挙句に共産党と国民党の内戦に引き込まれ利用された挙句,恩を忘れ(毛沢東は感謝を表明した),侵略したと汚名をきせ続けている国民性(避諱)と否定するネット情報に注意してください。 米国や当時同盟を結んでいたドイツも中国を助けていたことも発覚しています。 某大学教授その他数名が何年もかけて調べ上げた真実です。 お人好しなのは日本人だけのようです。

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物を作っても、欲しいと思う人間が居なければ売れない。 要は、巨大(とされている)市場と安価で豊富な労働力が欲しかった訳なんだよね。 現在もその本質は大して変わっていない。 将来的に高い蓋然性を以って想定され得るリスクがあるのにもかかわらず依存体質から脱却できない日本企業のなんと多ことか・・・。

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第一次大戦後、世界中は大恐慌に巻き込まれます。 もちろん日本も同じです。 世界中があの手この手で対策を考えますが、大国はたくさんの植民地を持っていました。 自国のことは、植民地を犠牲にしてでも、自国で経済を回してしのごうと考えたのです。 これがブロック経済です。 日本でも、東北地方では、餓死者が出たり、子供を売り飛ばしてしのぐなんて事が当たり前に行われたのです。 ここに目を付けたのが、満州でした。 元々は、騎馬民族を含めて多くの民族が争ってきた土地です。 中華民国もお手上げの土地だったのです。 まさに、軍隊の無い土地は無法地帯でした。 日本は八紘一宇の看板を掲げて、満州国は、様々な民族が安心して暮らせる土地にしようと考えました。 当時、地主に雇われていた貧しい小作農の方々は安住の土地を求めてこぞって満州へ渡ったのです。 しかし、軍隊があっても、土地は広いし大部隊が常駐しているわけではありません。 日本人が襲われる、残虐な強盗事件が次々起こります。 最初は常駐する警察のような役割だった軍隊でしたが、結局はこの問題の抜本的な解決のために、ドンドン内陸部へ、引っ張り込まれていきます。 蒋介石率いる国民党と毛沢東が率いる八路軍との内戦の中に日本軍が巻き込まれていくのです。 盧溝橋事件の犯人は? というよりも、これは戦争のきっかけであって、その前からいざこざはたくさんあったわけです。 もしかしたら、犯人は八路軍という説もあります。 結局、日本の敗戦後も国民党軍と八路軍の戦いは終わりません。 1949年に中華人民共和国設立まで続くわけです。 日本は、すぐに終結すると、問題の本質を大きく見余ってしまったという事でしょう。 結局、この満州事変がキッカケで、中華事変、大戦とつながってしまったわけですから。

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日中戦争の目的? 植民地獲得だよ 当時は世界恐慌下の 大不況。 乗り切れる国は植民地を 抱えてる国に限定される。 という流れ。

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満州事変で強引に中国から満州を切り離しましたが、中国側の反発はすさまじく満州の日本人や日本の正当な権益までテロ行為で危険にさらされました。だから中国北部まで影響範囲を増やそうとしましたが、すべては日本の都合でしかありませんからますます反日抵抗運動は過激になっていきました。 それでも日本の報道は「暴支膺懲(暴れる中国をこらしめる)」「対支一激論(中国は一撃で降参してくる)」とピント外れなプロパガンダで国民は勘違いの暴走を加速させました。泥沼の長期戦になってからは「今更やめられない」から続けてただけです。 まるで今のロシアと同じですね。

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