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(3)が誤りです。 道長の外孫である後一条天皇が即位した折に【摂政】の職に就きます。 「征夷大将軍」は後に武家の役職となります。 後世「御堂関白」と呼ばれるようになりますが、実際には関白の職についておりません。 一条朝・三条朝では「関白の主な仕事内容」である【文書内覧】を執行する立場にはありました。 (1)実際には後一条朝時に薨去していますので、後朱雀・後冷泉の即位を見届けたわけではないのですが、文章事体には誤りはありません。 (2)上に述べたように、御堂関白とは後世の呼ばれ方で、「御堂関白記」も後世に名付けられたものです。 後世に名付けられたとはいえ、その内容は道長により記されたもので、自筆で残っている分が国宝に指定されていたりします。 (4)系図が正しかった場合、道長を含む全ての藤原氏(現在の藤原さんは藤原氏でない場合が多いですが)の先祖にあたります。 中臣鎌足はその功績により天皇から藤原朝臣の姓を賜っており、その子孫が藤原の姓を名乗るようになりました。
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