江戸の時代の武士の中には、腰抜けの臆病で卑怯なやつもいたんでしょうか。

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大河ドラマの篤姫だったと思いますが、慶喜がいまいましそうに、 「旗本達を招集すれば隠居を決めこみ年端もいかぬ4.5才の子供に家督を譲る有様じや!」 と嘆いてました。 徳川300年をタダ飯食って生きて来た事になります。 鳥羽・伏見の戦いで奮戦したのは会津桑名の藩兵と新選組だし。 官軍が江戸に攻め込んで来たとき 談判が決裂すれば慶喜を担いで、江戸を火の海にするつもりで勝海舟の手配したのは、旗本でも御家人でもなく新門辰五郎の手下の火消し人速達でした。

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<幕末の話ですが> 徳川幕府が、薩長と対決する際に江戸の旗本たちに召集をかけた。 多くの旗本は、戦が怖くて家督を子供に譲って隠居を決め込んだ。 召集の日に集まったのは、「年端もいかぬ子どもたち」でした。 ■↑これを民放のTV番組で見た記憶があります。 考えてみると、当時の慶喜は京都にいたので「子供軍」と対面して いないと思います。 それは史実なのか、フィクションなのか。「ずぅ~と」気になって います。

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当然いたでしょう。 江戸時代中期には何もせずに親の後を継ぐ侍も多く 剣術の修行さえしていなかった武士も多かったそうです。 幕末には平和慣れした旗本などの中には鎧などを質入れしていて 黒船事件のころには慌てて質屋から出したり、刀剣屋などに 慌てて刀を買いに走った武士も結構いたそうです。

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そりゃいたでしょう。その時期の武士はもはや戦士ではなく、ただの国家公務員や地方公務員ですので。特に主持ちの武士たちが戦士として役に立たないので、浪士組やら新選組、新徴組、奇兵隊などを組織して戦わねばならない羽目になったのです。 そういえば大塩平八郎の乱のときに、鎮定に乗り出した大阪の町奉行が、大砲の音に驚いた馬から転げ落ちて鼻血を出し、後方に下がったさまを、当時の大坂町人たちが歌にして揶揄っていましたっけ。 「大坂天満の真ん中で、馬から逆さに落ちたとさ、こんな弱い武士見たことない、塵紙三帖ただ捨てた」 そんなものであったようです。