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現在は昔よりも技術が進んでいるから、剣道でも柔道でも今の選手が昔の選手よりも強い・・・そういう意見をよく見かけるようになりました

格闘技、武術全般432閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

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回答(9件)

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実戦の技術は落ちていると思いますよ。 もう武術で戦をしたりしないし日常で使う場面なんてほぼないですから。 戦国時代に活躍した忍者たちも江戸時代末期にはぜんぜん使い物にならなかったそうです。 理由は何世代も実戦から遠のいていたからです。 凡ミスの連発ですぐ敵にみつかったりとかしてたそうですよ。 武術もこれと同じでしょう。 練習だけでは実戦で戦う強さは身につかないので武術的な強さは昔の人の方が強いと思います。 ただしスポーツとしてなら今の人の方が強いでしょう。 なぜならスポーツという枠の実戦でのノウハウがあるからです。 技術もそれに特化しているし経験も積んでいるし。 昔の武術家が今のスポーツ化した武術のルールで戦ったら勝てないでしょうね。 有名な話だけど新選組の天然理心流は試合は弱いけど実戦では強いです。 だから実戦にいく侍が習いに来たりしていました。 武術とスポーツとどちらの強さで語るのかで違ってくると思います。

ありがとうございます スポーツはルールに特化して練習しているのでルールで禁止されている動きには対応出来ませんから、実際に切り合えば昔の武術が上ですね 防具空手で、防具の死角からの攻撃を訓練した人が強かったという話を聞いたことがあります でも、その攻撃って防具無しじゃ丸見えですよね

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柔道で言えば現在は金メダリストの古賀・吉田選手の時代から競技人口が半分ほどに減っているのに階級は増えているので昔に比べてかなり恵まれているというか選手間の競争力はあきらかに落ちてますね。突出したレベルの選手は別として、いくらトレーニングや技など多少の向上があったとしても競技人口が年々減っているのにレベルを維持できる又は向上するってのはちょっと考えられませんね。

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質的な物の大きな一部分は確実に落ちているでしょうね。 それだけ体を使わない社会になってきたからだと思います。 祖父はサッカーのドリブル(フェイントワーク)をしながらバスケットボールのドリブル(フェイントワーク)ができる人でした。 これは両道のどんなプロに接しても、 できる人がいませんでした。 ただしサッカーもバスケットボールも、 ものを考える余裕のできた時代になって、 情報の伝達効率も増し、 多くの戦略や個人技が積み重ねられ、 そのバラエティは侮れないものになってはいます。 祖父と幼少期を過ごした私は虎乗りを鍛えられたので、 ほんらい人の乗る対象でないネコ科の背に慣れた経験値から、 プロ騎手の乗馬を見ても甘いとは感じます(馬の波打ちをちょっと殺してはいる その一方で騎手の現代的なコース取り、 レース展開のノウハウは凄いものだと感心もします。 なので概要としてはありきたりに、 体技の進捗は新旧で進退ないまぜかなと実感するところがあります。

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豊臣秀吉が朝鮮出兵した時の明の書物に書かれていたことらしいんだけど、明の側から書かれた書物には、 「彼ら(日本兵)は褌一丁で飛鳥の如くに飛んでくる。彼らに会ったらお終いだ」 と書かれていたんだって。 要するに、戦国期の剣術というのは遠い間合いから飛び掛かって斬る戦術だったらしい。 戦国期以前から伝わる香取神道流などはその型の中に飛び跳ねる型が伝わっている。 柳生心眼流では、飛び込むときに前足の膝裏を後ろ足で蹴ることで一間(約1.8メートル)先まで飛躍する技法が伝えられている。 今現存する剣術、武術は平和な時代が続いた徳川時代に作られたものばかりだからね。あまり飛んだり跳ねたりはしない。 僕は江戸時代以前からあった武術こそが実戦的なんだと思う。

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ありがとうございます 柳生心眼流は入門して修行していました その歩法の元は三陸地方のお神楽の舞にルーツがあるようです 膝裏を蹴るだけではなく足を踏みかえるやり方も伝わっていました 足を踏みかえつつ剣を振りかぶり剣の持ち手を入れ替えて間合いを狂わす方法でした 一般に戦国時代から伝わる剣術の方が実戦的だと考えられるようですが、私個人はケースバイケースではないかと考えています 例えば、男谷精一郎は幕末に直心影流男谷派を名乗っています 直心影流だけではなく男谷派をわざわざ名乗っているのですから直心影流と異なるところがあるはずです 直心影流は室町の頃からの伝承ですので、時代に合わせて時代時代の天才が改良を続けてきたのだと思うのです 江戸時代でも試合は「真剣」「木刀」「袋竹刀」など様々だったことはご存じの事と思います 竹刀での稽古と実戦は全く別だという回述は多くの剣術家が残しています

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難しいことは苦手なのでとお断りしてから、大学の博士課程って濃厚な人間関係によって教育が培われるところが武道に似ている気がする。マスプロ教育とちょっと違うものが最先端で行われていることは注目されて良い。 武道の芸術と技術は未分化なものであって、近代の芸術や技術とは異なる。たとえばボクシングのパンチと空手の突きは質が違う。倒れれば良いのだから同じものだろうとして扱うのは合理的。だけど空手ともボクシングともつかない別なものが生まれちゃう可能性がある。また以心伝心という訓練が必要でもある。 異なる技術と教育方法を、同じ土俵に乗せどちらが良いか比較するのは無理があるんじゃないですか。

ありがとうございます 私もそういう視点って大切だと思います 武原はんという地唄舞の先生がおいででした 非常に美しい舞を舞う先生でした この舞の素晴らしさの本質を見抜いたのは踊りの関係者だけではなく武道武術の関係者にも多数いて、彼女の身体操作を学ぶために入門した武道家武術家も数多くいました ぶれずに体軸を立て続けて舞を舞うなんて信じされないほどの技術でした その素晴らしさを見て理解できる人でも、どういう訓練でそれが出来るようになるのかは地唄舞の稽古方法を知るしか方法がない状況だったために多数の入門者があったのだと思います この地唄舞を見て「ここにバレエの本質がある」と称賛したのが当時のソビエトの最高齢の現役バレリーナでした 「科学」で分析すれば地唄舞とバレエではリズムも違いますし、地面から足を離さないで舞うのと大きなジャンプも含んだ踊りの本質が共通しているという分析にはならないでしょう