人格的な神をお求めなら無意味でしょう。
よく精神と言われる事も多いですし、確かに形象は持たず、直接的に顕現する事も無いとは思います。
一神教の様な、全知全能の神様がいたら可哀想です。
何も感じないでしょうね。
神と言う比喩としての捉え方であれば、無限の愛であり、無限の現しであり、可能性と私は説きます。
宇宙存在(宇宙意識)と言われるものが千変万化であるように、常に同じ状態のものは存在しないとされる所以です。
ですけれど、太陽の様に天照大御神と言った、説明しようのない事象が全てを照らし、育み、合一し、今この瞬間全てに命を与えているという事実は否定できません。
科学的な名称で、世界の働きが機械的なものに置き換えられている現代は本当に大切な認識を私達から遠ざけている気がしますけれど。
人間から神へと至り、今いる人々を助けようとしている存在も日本にはあります。
神社神道という形ですけれど、その精神性は本当であると信じています。
時代を越えて人間達の世界の創造にはある種の精神性や存在が見出せると言われた過去の人々もいますし、私はその考えは支持したいですね。
極論的に言えば、私は居るのではなくて「有る」と答えたいです。