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2022/6/24 4:59

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昭和の思い出。鉄道ストライキのとき線路の上を歩いて出勤するお父さんたちがいましたよね?

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質問みて思い出していたのですが(昭和40年名古屋生まれ、昭和47年から滋賀県大津市)、線路歩くのは、関東圏が殆どかなと(テレビ放映されていたのが、キー局中心だったからかも)思います。 亡父ですが、車の免許なくて、東レ(当時は東洋レーヨン)通勤するのに、名古屋は社宅だったので、乗り合い(3交代勤務調整したかと)で行っていたと思います。 あと、大津市に引っ越してから、しばらく大垣工場へ通勤(3交代シフトで電車ない時間は、大垣工場の社宅)していたのですが、スト権ストの時は、社宅に籠っていたと思います。 あと、ニュースの情報で地域は不明ですが、トラックの荷台に社員を載せて通勤している風景がありました。 線路の上歩くの、本来は不法侵入ですが、警察が取り締まりをしたとかは知らないです。 ストで電車列車止めたの、国鉄以外だと、中小私鉄、バスがいくつかストしたのは覚えているのですが、大手私鉄だと、近鉄は改札ストライキで早々に離脱していて(当時、ニュースセンター9時を見ていて)、他の大手私鉄も夜中に妥結して、始発が遅れるかなくらいだったと思います。

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ごく普通に歩いてた。東北本線ですが鉄橋で遊ぶのが流行ってた。河原から橋梁を登る、全橋梁を上って一人前。上下線で二〇本以上。又、次の町まで行くのに最短距離、平坦見晴らしも良い。 でも結構事故もあった。行商のグループ4~5人がひかれた(跳ねられたのではない)一緒にいた女の子が生き残り。最も大きい部分にすがり、全身全身血まみれで泣いていた。

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田舎のローカル線ならともかく本数の多い都会の私鉄の線路に入るなんて危険すぎます。 ストライキという特殊な事情による黙認です。 1965年頃までの労働組合は貧富の差の解消と国民全体の所得の向上に大きく貢献しました。 しかし、1970年頃からは成功体験に安住して国民の意識と乖離したようなストライキをするようになりました。 このためストライキに怒った通勤客が暴動を起こしたこともありました。 鉄道会社は利用者の怒りの爆発が怖いので、線路への立ち入りは黙認だったと思います。

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ストライキでなくたって、線路の上を便利なショートカット路として歩いていましたからねえ。 道路より鉄道の整備が先行した日本では、トンネルや鉄橋ってつまりは地元民にとっては垂涎のショートカットルートですので。 また、線路を歩いていれば自然と目的地につけるので、地図がなくても迷いませんから 某鉄道でよくあった光景のように地元住民の裏路地同然に住民が日常の途として歩いているなんてザラでした。 タレントがSNSで撮影名所の踏切ショットで炎上するなんてあり得なかったわけです(なにしろ、ローカル線の線路の上を歩く演出はドラマでも観光ポスターでも定番ですから) >立ち入りを黙認してたのでしょうか 黙認というよる緩い時代ってことです。 また犬走りと畦道が判然としない場所なんて、農村はむろん郊外でもざらでした。前述した住民の路地化した例と同じで、なんとな〜くそういう風景になっていったので、誰も問題があるとは考えておりませんでした

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学生だって線路上を歩いて、ストライキの時に学校に通っていました。 法律で禁止されていたって関係なかったです。