回答(15件)

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昔の映画は全て白黒です。 風と共にさりぬ も白黒でした。 南北戦争はドレイ解放の歴史映画です。 アメリカは莫大な費用をかけてこの映画をカラーにしたのです。 20世紀の残したいアメリカのカプセルには、映画では 風と共にさりぬが入れられました

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「風と共に去りぬ」はカラーである以外にもめちゃくちゃお金かけています アトランタが包囲される中、スカーレットとバトラーが燃える建物から馬車で逃げる場面ありますよね。今の感覚だとなんてことない一場面ですが、当時は最新技術による衝撃の場面でした ようするに大ヒットした原作ありきで、最初から大規模予算を組んでスター俳優を起用した作品 「ローマの休日」はどっちかというと「低予算映画」というやつで、オードリー・ヘップバーンも無名の新人でした。制作決定するまでにも紆余曲折あります

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日本が貧しい国であったという人がいるかもしれませんが、1970年代の半ばくらいまで、カラー撮影であることがウリになるような時代だったのです。 これは他の先進国でも程度の差はあれ同じです。「総天然色」とか「カラー」等とわざわざ広告に書いてあったくらいです。 「風とともに去りぬ」は当時ベストセラーとなった小説の映画化で、主演女優探しも「スカーレット・フィーバー」と呼ばれるような全国的な話題になったりと、本当に社運をかけたような一大プロジェクトでした。あのアホみたいに高い三原色を別々のカメラで録り、上映時にもそれぞれの色の映写機を使うテクニカラーで4時間近い長編だったことからもそれが伺えるのです。 ローマの休日は元々10年くらい前から低予算でつくるつもりで温められていたというか、半分お蔵入りになりかけていたものをウィリアム・ワイラーが見出して実際に製作にいたったもので、グレゴリー・ペックは大スターでしたが、オードリー・ヘプバーンは全くの無名で、ペックを主役に出来るなら女優は無名の新人でも問題ないというくらいの扱いでした。 上映時間も2時間と一般的なものです。 つくってみて予想以上に面白いものが出来たので、テクニカラーで撮影すれば良かったとワイラーが後から後悔したのです。

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理由については他の方が色々解説されていますので、ちょっと別口の小話を。 風と共に去りぬ、が大作映画であることはご存じでしょうが、まさにスタジオにとっても大作として作られた作品でした。 日本で風と共に去りぬが公開されたのは第二次世界大戦後です。 当時、多くの人が外国映画を観るために映画館へ押し寄せた時代です。 そこへこの作品が登場しました。 映画を観た多くの人がショックを受けたのです。 今でこそありとあらゆる物量がアメリカが抜きんでていることを知らない日本の国民はいないでしょう。 でも戦後、多くの国民はアメリカという国の知識が乏しかった。 風と共に去りぬを観た1人の男性の言葉は有名です。 こんな映画作る国と戦争したのか。 負けて当然だよ。 作品が作られた時、アメリカ国民がこれを観た時、自分たちはどうだったか、日本はなにをしていたか。 打ちのめされた。 多くの人がそう感じたそうです。

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