2015年の文学・思想界の成果として誰もがあげる安藤礼二「折口信夫」。533ページという大部にひるむが、一気に読ませる筆力があります。学生時代に、食費を切り詰めて、切り詰めて貯まったお金を持って、都内のさまざまな古本屋をめぐり、個人全集を買い漁ったものです。読めないもの、手放してよいもの、はあとで全部、図書館に寄付することになりましたが、折口信夫全集もそのひとつ。不思議の霊が乗り移ったように神がひく一本道を歩く筆さばきは、その分野を専門外とする学生にはとうてい手に負えるものではなかった。
折口信夫が師と仰いだ柳田国男が若いころに主張した山にすむ人々、すなわち被差別の民俗が日本列島の文化の古層に属する重要な遺産を継いでいる、には私なりのライブ感覚がある。祖父の時代に九州の村落に、時折大きな動物の肉塊を背負って山の奥から降りてきて塩や塩漬けのブリと交換する人々の話は、村落では一種の尊敬と恐れをもって受容されていて、村長(おさ)の庭に広げられた肉類を値切る村人の姿は、孫子に詳細な物語として伝えられた。のちに柳田国男自身「山の人生」で、山人の位置づけを大きく転換させてしまうが、こうした日本各地に残る伝承が消えてしまったわけではない。山人とはなんだったのか、肉塊といっしょに、ときにコケシのような木彫りの人形を里の子供たちに持ち込んだという人々はどこから来たのか?
折口信夫は、柳田国男の民族伝承、古代文学、民俗学を総合化する学問の方法にひどく感動し、それを「先生の表現方法を模倣する事によって、その学問を、全面的にとりこもうと努めた」。しかし、若い折口は先生を優々と超えていく。日本社会の発生母体について、柳田が山人ではなく中間層を表す常民と考えなおしたのに対して、折口は日本の社会や家族の起源を追及し、その原型を沖縄諸島に祝祭の中に発見していた。
沖縄諸島に日本の起源が残るという発見にはふたつの意味が含まれる。ひとつは、祝祭時には神といつでも交換可能な、巫女などの女性を頂点とする構造こそ社会発生の起源と位置づけられること、そしてもうひとつは、弥生時代の頂点に位置づけられる大和社会を天皇の起源とする現代の神話を相対化してしまうこと。それゆえ折口信夫の天皇論は、万世一系の皇位継承を否定して、神がその体に宿るゆえに生まれる偶然の王という職位を天皇とした。
折口信夫は、沖縄諸島に当時色濃く残っていた祝祭の儀式を極める過程で、神が人に乗り移り、人が仮面をかぶることで神に転身していく必然性を確信し、そこに女性が大きな役割を果たしていたことを発見する。憑依のなかで神の子を宿す女性。神の子はマレビトとなり、神羅万象あらゆるものに変身する。男たちは女性の歌うリズムに合わせて舞う。神の動作を反復して踊り狂う女性たちから、舞踏が生まれ、音楽が生まれ、神を「ものまね」する芸能が生まれる。折口信夫の代表作「古代研究」はこうして誕生した。
では折口信夫が言う「神」とは何か?折口信夫の言語論によれば、「日本の神は、たま、と称すべきものであった。それがいつか「神」という言葉で翻訳せられてきた」。すなわち、神とは古代人が霊魂という物質であるとともに力でもあるとみなした生命の根源に存在する生命力のそのものを抽象化した概念であった。現代ではより具体的に、生命の物理的な活動をつかさどるアデノシン三 リン酸や、情報を記述し記憶させるDNA、そして、それらがヒトを形成し、そしてまたヒトが人として集団としてふるまうときに生まれる集団意識、を指す、と言ってもそう外れてはいないだろう。こうした集団意識によりシェアされた霊は祝祭の時に原始信仰として広がる。神道の宗教化が始まった。折口信夫は日本の宗教の発生を解き明かしたのである。お薦めです。