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2022/6/27 2:28

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結局、卑弥呼が治めた邪馬台国ってどこにあったんですか?

補足

あと、卑弥呼は天皇家の祖先の1人とか、そんな考えはありませんか?

日本史799閲覧

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邪馬台国の時代2~3世紀、東北から九州にかけて広い範囲で活動したのは、東海・近畿の勢力でした。 土器の移動でわかっています。九州は対照的に東からの流入が圧倒しています。 唐代成立の中国正史『北史』にある隋代の記録にある「邪摩堆」は、≪居於邪摩堆、則魏志所謂邪馬臺者也。≫とあり、魏志倭人伝の言うところの邪馬台国ですと説明してくれています。 聖徳太子の頃の都といえば、大和です。文献からも大和説は動きません。 竹斯国(筑紫国)から邪摩堆まで、「東」へと向かっています。 中華思想で域外の国々は、野蛮国扱いですからそのような文字を当てはめました。「倭」も(小さな人)という意味でした。

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決してそうは思いません。たとえば、卑子「しずこ」と読んで、しとやかな女性という意味合い。現在でも、れっきとした人名漢字です。

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邪馬台国=高天ヶ原=大和王権=現在の福岡県朝倉市にありました。 卑弥呼=天照大神です。 中国は中華思想により周辺地域に卑字を与えました。 天照大神の子孫神武天皇はこの地から奈良盆地に移動して征服し大和と名付けました。

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まず卑弥呼も邪馬台国も日本の文献などで残っているものはありません 中国の魏志倭人伝にのみ記載されています 諸説ありますが当時の中国では自分の国以外の名前を悪い字で書いていましたので中国の文献に記載された日本の人名や地名は良い字が使われていないという説があります また、外国の言葉と分かりやすくするためとも言われています 場所ですが、こちらも諸説ありますあなたがおっしゃっている地名ですね ですが卑弥呼に関しては情報が少なすぎます もはや神話か歴史かみたいなレベルです 真実が分かるときは来るのか…難しいところですね 卑弥呼は人前に姿を晒さなかったそうですから案外実はノリが良いパリピだったかもしれませんよ

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