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暇つぶしのために読書しても人格は深まらないと思うんです。人間の精神より偉大な何かを見出してこそ読書は神聖となり霊的と成り得ないでしょうか?

哲学、倫理 | 読書32閲覧

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回答(1件)

人間の精神より偉大な何かを見出してこそ読書は神聖となり霊的となりえないでしょうか? 人間の精神より偉大な何かを見出し・・・天・地・の秩序を理解する。これは宇宙・地球の成り立ちなど自然科学を極めると言う意味ではなく、貴方が言うのは、大自然をつかさどるであろう大きな神の存在を指していますか? 自然科学の中の大きなエネルギーを神とも言えますが、あなたの言われる神とは違いますね。 私は、人間が認識できる・想像できるもの・認識できていなくても目に見えない物があるとしても、人間が言葉にしているものは、人間から出た物で、人間以上にはならないと考えています。 人間の精神より偉大な何か、人間の精神と、大きな自然界の偉大なもののエネルギー・営み・と比較する物ではない。別次元のものと考えます。 雨が降ることと人間の精神と何を比較するのでしょうか?世界をつかさどる大きな自然界のエネルギーの秩序・意志・と人間の精神とは別の次元の物と分かりませんか? 人間は弱いもの、大きな力にすがりたくなります。その心と、自然界の大きな力とは関係ないのです。ただ人間は祈り助けられたい気持ちになります。その一人の不安を結集して、宗教集団にすることは別次元の事だと考えています。日本人ですので、何となく仏教信者ですが、それを大きな力にしたいとはかんがえていません。 貴方の答えにならないかもしれませんが、考えてみました。

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読書は、転ばぬ先の杖のように、少し知識を前もっていただいて、とっさの時に、大けがをしないように知識を得ます。 ただ楽しんで知らないことを知る、楽しさもあります。美術でも、作家がこの時代にこんな苦労をして作品を残したことを知り、私の苦労はまだまだと、奮起することも出来ました。 私が一人だとさみしくなっても、好きな作家を思って、恋人を思うように心で会話をすることが出来ます。私は一人ではありません。色んな人の努力が、今の私を支えています。