なぜ「織田信長政権」が続かなかったのですか??? 「鎌倉殿の13人」を見ていて思ったのですが「鎌倉幕府」は 源頼朝が死んでも続きました。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

そうなのかもしれませんね~。

お礼日時:7/7 2:40

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織田信長は 天下統一の道半ばで 亡くなりました 跡継ぎの嫡男 信忠氏も 亡くなりました 織田信長四天王の一人 豊臣(羽柴)秀吉氏が その後 織田政権を引き継ぐ形で 天下統一を成し遂げました 織田政権と言っても 日本には 清和源氏出身の 足利義昭氏という 中世の 征夷大将軍が 名前だけですが 存在しており 広島県の鞆の浦に潜伏していました 織田信長氏も 敵が多く 争いのさなかでした 伊豆北条氏は 朝廷から 征夷大将軍を 派遣してもらい 執権職として 武士をまとめていましたが 冷遇されていた 清和源氏の新田氏などに 滅ぼされました

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頼朝の子息が継いだか信長の家臣が継いだかの差だというだけに思えますが。 頼朝の時代は恐らく将軍家以上に軍事力を持つ戦国大名とかいなかっただろう、とも思いますが、それ以前に「幕府」とは子孫や一族が継ぐというものなんでは無いでしょうか。

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>この差は何なのでしょうか?< という問いかけに対しての答えは「時代が違う」ということです。 平家政権が史上初の武家政権と言っても、朝廷という枠組みの中でしか運営はできませんでした。源頼朝はそれを進歩させて武士による政権運営の道を開きました。しかしながらやはり古代から中世にかけての権威主義というものは取り去ることはできなかったのです。頼朝自身が河内源氏の嫡流という神輿でした。つまり源家3代に変わる神輿に北条がなることはできなかったし、北条氏自身も自らが将軍になろうとしなかった。北条時政が自分の娘婿を将軍に担ごうとしたときには、政子、義時など身内に排除されることになったのです。 ですから頼朝一族の血を受け継ぐ者や天皇家の一族から神輿を選んだのではないでしょうか。 一方、織田信長の時代には下剋上が普通に行われる時代です。信長自身も守護代のさらに下の家格の人間です。光秀、秀吉、家康にしてもどこの馬の骨か分かりません。室町時代には足利将軍家という権威はありましたが、家臣に殺される将軍や京都を追われる将軍など権威自体も落ちていました。 そういう時代に織田家という神輿やそれに代わる神輿は必要なかったということではないでしょうか。自分自身が実力でのし上がる、そういう時代だったのではないでしょうか。

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そもそも織田信長政権なんてないかと。 全国平定する前に死んでるから。 仮に鎌倉の北条で続いたとするなら、信長のあとはその家臣の秀吉が全土統一して政権樹立して、その秀吉のあとは家臣の家康が続いたわけだから鎌倉が家臣の北条に乗っ取られたのと同じで続いてるとも言える。

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