関ヶ原の戦いは、やる前から東軍の勝利は決まっていた説と 接戦だった説がありますが、 数時間でケリがついたことから考えたら、 やはり やる前から東軍の勝ちは決まっていたのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん たいへん詳しくありがとうございました。 とても勉強になりました。

お礼日時:7/7 19:22

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関ヶ原は現在の我々の中で「常識」となっている話が後世のフィックションであることが近年わかってきています。 特に注目したいのは、石田三成の実際の立ち位置と秀忠の動きです。 まず、三成は当時の常識に照らして「政府軍」であり、家康は反乱軍だったということ。三成は、家康と対立した3人の大老や奉行衆を取りまとめていた役割にすぎず、大義は三成側にあり、法的にも人倫的にも不利だったのは家康です。 陣形だけでなく国の「並び」的にも、徳川勢力は政府軍に包囲されてる陣形で、有利不利で言えば徳川の圧倒的不利である、と考える人が多いのは確かなのでは。 第二に、秀忠が受けていた命令は「中山道を行って合流せよ」ではなく、上田城を落としてから合流せよ」だったことがわかっている。 それはなんのためか、というと、要は退路の確保です。 関ヶ原で敗れた場合のことを考えて家康は退却戦を想定していた。それはおそらく、戦略的なものです。少しずつ下がりながら相手に消耗戦を強い、一枚岩ではない政府軍が瓦解するのを待ちながら関東に引き込む戦略ではなかったのか。 現に、家康は何度か撤退を匂わせる言動をしており、早期に戦線を後退させるのは想定内だったのかもしれない。 黒田如水が「この戦は長引く」と踏んでいた理由は、その慧眼ゆえに家康の戦略を見抜いていたからでは? しかし、戦いはわずか数時間で決した。通説にあるような小早川秀秋の裏切りのドラマは実際には無く、宣教師が本国に宛てた手紙によると「小早川勢は開戦と同時に裏切った」と書かれ、早期にカタがついて一番驚いたのは家康かもしれませんよ。

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鶴翼の陣で、更に退路を断たれる可能性もある中に 家康が陣を進めている事からも、全て根回しが 済んでいて勝利が確定してたからだと思います。 常識的に考えても、この中に本陣を進めるなんて 事はあり得ませんからね。

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黒田如水は、関ヶ原で大戦(おおいくさ)をしている最中に九州を平定してその余波を以って戦で疲弊しているであろう徳川家康の軍勢との決戦に挑み天下を伺う腹積もりで、実際に軍を発したという。 つまりは、時の名軍師をして、東軍優勢であるが勝敗は紙一重と読んだという事なのではないかと拝察します。

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決まっていません。プロイセンの軍人メッケルは関ヶ原の配置を見た瞬間、西軍の勝ちを言ったそうです。すべては現場の裏切り者と簡単に降伏して大坂を退去した毛利輝元が悪い

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家康の根回し通り、小早川秀秋他の内通者が寝返れば勝ち確ではありました。そういう意味では勝ちは決まっていました。当時の大名の中で家康が圧倒的に戦闘経験が高く、部下も歴戦の猛者ですので事前準備が完璧だったのはある意味当たり前かなと思います。 内通者が心変わりして内通しなかったら西軍の圧勝の布陣でした。

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