鶴が岡八幡宮から歩いて5分ほどのところでした。
「大蔵幕府」と呼ばれていたようです。
現在では小学校の片隅に石碑が残っています。
ちなみに「幕府」という言葉は当時は将軍の住む屋敷のことを言いました。
当時の記録には、「幕府の庭の桜の木が満開になった」みたいな記述がみられます。
政権を意味する「〇〇幕府」という言葉は明治時代、学問の世界で使われるようになりました。
なので当時の人たちは「鎌倉幕府」とか「室町幕府」という言葉は知りません。
ちなみに大蔵御所跡のすぐ近くには、畠山重忠と北条義時の屋敷跡があります。
この屋敷の位置からして、この2人が頼朝のお気に入りだったのでしょう。
ちなみに北条時政の屋敷は現在の鎌倉市名越、大蔵御所から歩いて1時間弱、比企能員の屋敷跡は現在鎌倉市の比企が谷、歩いて30分ほどの場所です。