それは聞き取りやすさより響く声を優先しているからです。
クラシック声楽は電気の発明以前に技法が確立しています。
つまり現代では電気製品が肩代わりしてくれている作業、例えば拡声も微調整も録音も人の能力でまかなう必要がありました。
広い会場や時には屋外で聴衆の隅まで音を届けるには、発音の明瞭さをある程度犠牲にしても、より純音に近づけた高エネルギーの発声が求められました。
録音機材がなければ、時間と場所を問わず作者の意図するところを寸分違わず再現する楽譜絶対の緻密な音楽作りが求められました。
このプレ電気時代の技法の体系がクラシックスタイルです。
ヨーロッパで成立した音楽ですから基本的にヨーロッパ言語に使いやすいように開発されていて、あちらの人たちは日本人が日本版のクラシック声楽に感じるほどの異質感は感じないようですが。
ではこのクラシック声楽の技法は致命的かと言われば、そうでもありません。
漫画を読むときに我々は無意識に漫画のルールで読み進めています。
面白ければコマ割りとか書き言葉とかのルールを忘れて没入することもあるでしょう。
クラシックも受け取る側に独特の表現を読み解く素養が必要なのです。
ジャズや難解なロックとかもそうですが、必ずしも大多数の聴衆に受け取りやすい表現が優れた芸術の必要条件ではありません。
できるだけ電気的なサポートを受けないのがクラシックの矜持ですから、そういう歴史に思いを馳せつつ鑑賞するのも味わい深いものです。
なおクラシックスタイルの音楽は声楽を含めて今なおどんどん生まれていますよ。
バッハやモーツァルトが新曲を出すわけではありませんが、現代の作曲家でクラシックスタイルが好きな人はクラシックのルールで曲を書きます。
クラシックは本来は古典派の音楽のことですが、我々はバロックもロマン派もクラシックとして認識していますよね。
現代作曲家でもクラシックで書けばクラシックです。
特に日本で作られる合唱曲は大多数がクラシックジャンルです。
音楽ジャンルごとに固定ファン層はあるので、ジャンル特性の違いを持ち出しても優劣基準にはなりにくいと思います。
ジャンルまたぎのクロスオーバーの試みはいろいろなされていますが。