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景初3年と正始元年は同じ年と考えて良いのだろうか?

san********さん

2009/6/919:31:30

景初3年と正始元年は同じ年と考えて良いのだろうか?

景初2年(238年)に公孫の燕が滅亡し、景初3年(239年)の1月1日に明帝は病死した。そのため景初3年の1月を景初2年の後12月として、正始年号に移行したらしい。そうすると景初2年は238年1月から239年1月までの13ヶ月で、正始元年は239年2月から12月までの11ヶ月となるのだろうか。しかし、景初3年は239年で、正始元年は240年とする年表もあります。ここのところはどうなっているのだろうか。また景初歴の1月と西暦の1月は同じ日時としてよいのか、違う日時ではないかと思いますが、よくわかりません。解説をお願いします。

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his********さん

編集あり2009/6/1007:13:09

ここは「日本史」カテゴリなので、ご質問の内容は「中国史」カテゴリに書くべきかと思いますが…。

とりあえず暦の部分について回答します。
昔は、冬至が1年を決める基準の日で、冬至を含む月を子月、その次を丑月、その次を寅月としていました。
で、子月が年始(正月)、丑月が2月、寅月が3月でした。
しかし、王朝が変わるたびに、丑月を年始(正月)にしたり、寅月を年始(正月)にしたり、ということが行われました。
干支—子月—丑月—寅月
周暦—正月—2月—3月
殷暦—12月—正月—2月
夏暦—11月—12月—正月
子月を正月とする周暦、丑月を正月とする殷暦、寅月を正月とする夏暦の3パターンが繰り返されたようで、これを三正(夏正・殷正・周正)といいます。
最終的には、前漢の武帝による太初1年(紀元前104年)の改暦で、立春の頃にあたる寅月を正月とする「夏正」が採用されて以来、現在に至るまで、冬至を含む子月が太陰太陽暦(いわゆる旧暦)の11月、丑月が12月、寅月が正月となりました。

ところが、中文のWikiで調べたところ、「景初」の説明で、
「青龍五年三月改元並改用景初歴,以建丑之月為正月。因此青龍五年三月則成為景初元年四月」
とありました。
「以建丑之月為正月」つまり「景初」は丑月を正月とする「殷正」を採用したらしいのです。
で、明帝の死亡日が「景初三年正月初一丁亥日(239年1月22日)」とありました。

西暦239年1月22日(火)は、現在の旧暦では238年12月1日の丁亥日です。
西暦239年2月21日(木)が現在の旧暦の239年1月1日の丁巳日となりますので、「景初」が「夏正」だとしたら「景初三年正月初一丁亥日(239年1月22日)」ではなく「景初三年正月初一丁巳日(239年2月21日)」となります。

同じく中文のWikiで「正始」を調べると、
「景初三年...十二月,詔曰:『烈祖明皇帝以正月棄背天下,臣子永惟忌日之哀,其復用夏正;雖違先帝通三統之義,斯亦禮制所由變改也。又夏正於數為得天正,其以建寅之月為正始元年正月,以建丑月為後十二月。』」
とありました。
「其復用夏正」つまり「夏正」に復するということですね。
「其以建寅之月為正始元年正月」つまり寅月を正月にするということです。
「以建丑月為後十二月」つまり丑月を「後十二月」にするということです。
以上のことを景初3年12月(子月)に詔したわけですね。

「景初3年の1月を景初2年の後12月として、正始年号に移行した」のではなく、明帝が死んでもまだ年号はそのままで、その年の12月(子月)に、次の丑月を(景初3年の)「後12月」として、次の寅月から正始1年正月とすることを詔したのだと思います。

ここで「因此青龍五年三月則成為景初元年四月」とあったのを思い出してください。
青龍5年3月を景初1年4月とするわけですから、237年(青龍5年/景初1年)が実は11ヶ月しかないんですね(青龍5年2月の次が景初1年4月になるので)。
238年(景初2年)は閏11月(景初だと閏12月かも)があって13ヶ月です。
239年(景初3年)は12ヶ月のあとに「後12月」が入って13ヶ月です。
240年(正始1年)は12ヶ月です。
237年に3月を4月として1ヶ月減った分、239年に1ヶ月増やしたということでしょう。
その増やした1ヶ月は旧暦での通常の「閏月」とは異なるため、「後12月」としたのだと思います。
「青龍」「正始」は現在の旧暦と同じで寅月が1月、「景初」は丑月が1月なので、対応はこんな感じです。
干支—寅—卯—辰—巳—午—未—申—酉—戌—亥—子—丑月
旧暦—1—2—3—4—5—6—7—8—9—10—11—12月
景初—2—3—4—5—6—7—8—9—10—11—12—1月

景初暦(景初歴)と西暦の関係ですが、景初暦は丑月を1月とした景初1年〜景初3年を除いて、寅月を1月とした正始1年以降は現在の旧暦と基本は同じなので、西暦とは約20〜50日のずれがあります。
西暦12月22日頃の「冬至」を含む月が旧暦11月(景初年間のみ12月)、西暦1月20日頃の「大寒」を含む月が旧暦12月(景初年間のみ1月)、西暦2月19日頃の「雨水」を含む月が旧暦1月(景初年間のみ2月)となります。
景初年間のみ1ヶ月ずれているために、結果的に西暦とのずれが少なくなっている感じですね。
なお、ずれているのはあくまでも「魏」の景初年間のみで、同時期の「蜀漢」や「呉」の暦は現在の旧暦とだいたい一緒だと思います。
つまり、景初年間のみ、「蜀漢」や「呉」が3月のときに「魏」は4月、「蜀漢」や「呉」が12月のときに「魏」は翌年1月、という感じだったのではないでしょうか?


suchowan's Home Page 暦相互変換WHEN
http://hosi.org/a/

西暦→和暦変換&日本史雑学カレンダー
http://www.kuu-kikaku.jp/rekishi/rekishi-zatsugaku-calender.html


以上、私が知っている暦についての雑学と、中文のWikiの説明を照らし合わせての推論です。
私、中文や中国史は得意ではないので、中文の解釈が間違っていたらすみません。

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ito********さん

編集あり2009/6/1105:10:27

>景初3年の1月を景初2年の後12月として、正始年号に移行したらしい。
違います。景初三年の1月に明帝が急死、斉王が即位して、翌年正始元年と改元されました。ですから
景初二年(238年)
景初三年(239年)
正始元年(240年)
となります。
ただし、年初は1月ではありません(ここに注意)。

なお(現代のカレンダーを良く見てもそうなっていますが)、旧暦の年月日と新暦の年月日は一致しません。だいたい一ヶ月あまり旧暦のほうが遅れています(たとえば今日は新6月11日、旧5月19日)。

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