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中学2年の社会(歴史)についての質問です。 大政奉還と幕府の滅亡はどのような関係があるのでしょうか?

日本史 | 歴史37閲覧

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回答(3件)

幕府は朝廷から政権を託されて代わりに政治を行うという大義名分で徳川家(将軍家)が全国の大名や朝廷を統制した。大政奉還は徳川家がその政権を朝廷に返すということ。ただの大名の一人になるということだが、徳川家には親藩大名(親戚)や譜代大名などの味方が多数いて将軍でなくなってもそのままでは徳川家が中心の政治体制になる。また徳川家の所領や軍事力、将軍以外の官職は残された。 徳川家を排除した政治を行いたい薩摩藩や岩倉具視などにはこれでは都合が悪いので、王政復古の大号令と辞官納地(官職を辞めさせ,所領を没収すること)で、徳川慶喜に領地を朝廷に返還させ、官位(内大臣)を辞職させた。これはクーデターであり、幕臣に反発させて戦争を引き起こして朝敵として徳川家を滅ぼすためだった。 これに旧幕臣の一部がひっかかり、京都で薩摩藩に攻撃を仕掛けた鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争が始まった。

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大政奉還の時点では朝廷に政権を運営する能力はなく、実質的には幕府が政権を担っていた。 それを覆したのが、王政復古の大号令である。幕府や摂関などの旧体制を廃止して、新政府を立ち上げたのである。 幕府だけでなく朝廷そのものも廃止して、新たな政府を作ったわけである。これを主導した雄藩の中には尾張や越前藩のように慶喜を支持するものもおり、慶喜は新政府の議定に内定した。 鳥羽伏見の戦いが起きなければ、慶喜は新政府に入ることができたはずなのである。

同義じゃないのですか 徳川家に関しては滅亡してないし、民法からは削除された「家督」を譲ったとか放送協会がニュースにするくらいの特別優待がまだ継続してるってことでしょ