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プロイセンっていう国は、いつ出てきたんでしょうか? いきなり出てきたっていう...

ジョーカーさん

2009/7/218:03:26

プロイセンっていう国は、いつ出てきたんでしょうか?
いきなり出てきたっていう感じなので・・・

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na_********さん

2009/7/218:32:28

プロイセン(プロシア公国)の前身は、ドイツ騎士団領です。
中世ヨーロッパにおいて、現在のバルト3国の地区は、まだキリスト教化されていませんでした。
バルト地区のキリスト教化と、バルト地区へのドイツ東方殖民のために、ドイツ騎士団が入り、領国化します。(1230年)
そのドイツ騎士団が世俗化したのが、プロシア公国(1525年)です。
そのプロシア公国を、ブランデンブルク選帝侯であるホーエンツォルレン家が相続したのが、1618年で、その時ブランデンブルクは、プロシア公国(プロイセン公国)と名前を変更しています。

質問した人からのコメント

2009/7/7 22:54:54

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ten********さん

2009/7/301:06:15

現在のロシア連邦のカリーニングラードやポーランドの海岸地方のあたりを、昔は「プロイセン(プロシア)」と言っていました。
ここら辺りは、10世紀くらいから現在のドイツ人が入植するようになって、自然にドイツ系の政権が支配するようになりました。
「○○騎士団」などという、武装キリスト教団がキリスト教の布教の目的で支配地を広げていった訳です。
これらは時代が下るにつれ、君主国となり、同じドイツ系の君主国と婚姻などでつながりを持つようになっていきます。
その結果、南ドイツ出身の「ホーエンツォレルン家」が支配するようになり、そこから急に英明な君主に恵まれはじめます。
そのあたりが、質問者の言われる「いきなり出てきた」時期だと思います。
あとは、歴史年表にあるとおり、ドイツ帝国成立まで進んでいきます。

bir********さん

2009/7/219:34:18

東欧に中世、たくさん騎士団があって、領地も、もって
ちょっとした領主勢力だったが、それが国かというと微妙で
十字軍ガラミで結成されたものが多く十字軍遠征の
関係で利権争いなどで抗争は激しくツブシ合いもやり
また、騎士団領といっても、ちゃんとした王国と戦ったら
たいてい勝てず、どっちかというと、国が戦争をするとき
助っ人に騎士団を呼ぶような感じで助っ人の騎士団
どうしが戦うことも多かった。
そうこうしながら勢力が結集するような感じで大きく
なったドイツ語族系の騎士団勢力も中世のある時期
大損害を受け縮小、まず、モンゴルが攻めてきて
騎士団はポーランド王国と組んで
ポーランド王ヘンリック2世が率いる騎士軍団は
モンゴル帝国のバトウ軍団、バイダル将軍が率いる
ものと衝突して大敗、ヘンリック2世は戦死
モンゴルはポーランドとハンガリアでも大会戦に勝って
あのあたりを荒らしまわって戦災で荒廃したという。
騎士団はスウェーデン、デンマーク、リトアニア
などの れっきとした諸国家が集権化を進める中で
騎士団という勢力では国家に対して拮抗するのに
限界が出てきて、これらの諸国と戦争するうちに
負けがこんで劣勢となりモンゴルの臣下のロシアの
領主アレクサンドル=ネフスキーの軍勢と戦って
負けるに至っては騎士団の限界を感じていたという
ポーランドがモンゴルの攻撃の被害から復興した
時期に騎士団はポーランドと戦い負けて
だいたいこのあたりで無くなったといわれ
騎士団の出身者たちが旧領土で新たな勢力を
立ち上げ、それがプロシアになっていったと
されています。

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