>~それはタキくんの入れ替わりとどんな因果関係があるのでしたっけ?
瀧が入れ替わりの対象者になった理由は明言されていないんですよ。
残念ながら新海監督の回答では、
「最終的には『なぜ瀧なのか』という理由は一切描かない」と決めたそうです。
「誰かが誰かと出会う事、誰かを好きになる事には、実際には理由なんてないからです。」
「理由づけ、つじつま合わせは、時には物語を貧しくしてしまうと思うから」
とのことです。
ですから正解はない訳なんですが…。
ただ、新海監督の最初の構想では、
丁度ラジオのチューニングを合わせるように三葉は何人もの人と入れ替わりを行った末に瀧との入れ替わりを体験するというものもあったそうです。
この案からすると、やはり三葉にとっての瀧は一番波長の合う入れ替わり相手であったということでしょうかね?
最初は
「あの男(女)は~!」
というスタートでしたのにね。
瀧と三葉の入れ替わりの日々は、正にチューニング合わせのようなものだったのかも知れませんね。
そしてそれは結果的にベストマッチな入れ替わり相手であったのだと思いたいですね。
新海監督は、ある講演の中において「因果律」という言葉を使っています。
少し理屈っぽい話ですが、一般的には
「一切のものは何らかの原因から生じた結果であり、原因がなくては何ものも生じない」
という法則のことを言います。
物語には必ずこれが散りばめられているという事を語っています。
三葉に入れ替わり現象が起き始めたのにも、それは何らかの原因があるという事なのですね。
豊穣祭における巫女舞が終わった後、家への帰り道の石段を駆け下り、
「来世は東京のイケメン男子にして下さい!」との願いは、
宮水神社の鳥居の下で、おそらくこの地域の人々にとっては神様である糸守湖に向かって願ったから入れ替わりが起こったという「因果律」という事らしいです。
そしてその結果、三葉のは瀧という男子と入れ替わりが起き始めました。
この時、もしかしたら三葉の入れ替わりの相手は瀧で無くても良かったのかも知れません。
先に書いた通り、瀧は1番最初の入れ替わりの相手だっただけのかも知れません。
しかし新海監督は、
「瀧と三葉は入れ替わりを行うことによってお互いに成長して行ったのです。」
とも語っています。
「あの男(女)は~!」のスタートは、
2013年10月2日(口噛み酒の奉納の日)の入れ替わりを最後として一回は途切れましたました。
しかし、この瀧が三葉と交信できなくなった時点では、
瀧にとっての三葉は正に瀧自身の半分の存在にまで膨らんでいたそうです。
ですから授業中の風景などでもわかる通り、全てがうつろな気持ちとなっていたんだそうです。
ですから、
「宮水三葉が入れ替わる相手が立花瀧でなければならない理由」は、最初は本当は無かったのかも知れません。
もしダメなら他の人物と入れ替わりが起きるだけだったのかも知れません。
しかし瀧と三葉は、入れ替わりでお互いに成長して行き、
そしてその結果として、立花瀧は、宮水三葉が入れ替わる相手でなければならないほどの三葉自身の半分までの存在へと成長して行ったのではないかと個人的には思えたりもします。
まぁ正解は無いのですが…。
このように、新海監督は、瀧にとって正に瀧自身の半分の存在にまで膨らんでいた三葉の情景として、そのことを込めたのが1番下の添付したUP画像なんだそうです。
背中合わせの鉄塔、お互いの事が見えていない、
その空にかかる月は半月、半分に欠けてしまった
その間を必死につなぐ様に、あるいは引き裂く様に、糸のように飛行機雲が飛んでいます。
このように物語のその時の情況情況を1枚1枚の絵に込めたりもしています。
との事です。
それから三葉の隕石の記憶の件ですが、
新海監督自身が書かれた小説版「君の名は。」では、
映画版では説明されていなかった重要な話がありました。
「繭五郎の大火」で焼失して不明になってしまった、
「組紐の紋様」や「神楽舞」らの意味についても驚くべき意味があったことが語られています。
実は悠久の歴史の中で、ティアマト彗星の隕石は過去に2度落下しています。
そしてその度に集落を壊滅させていました。
そして昔の人々はこの事を何とか後世の人々に伝えようとしました。
それは文字よりももっと長く残る方法で…。
彗星を龍として
彗星を紐として
割れる彗星を神楽舞の仕草として
宮水神社・宮水家は代々それ(彗星の隕石落下の警告)を伝える役目を持っていた訳です。
「繭五郎の大火」は、昔の人々のその重要な警告を消失させてしまったという重大な影響を及ぼしていた訳です。
しかし宮水家の入れ替わり能力も代々受け継がれて来た事が、今回の隕石落下の惨劇回避に繋がったと言えるわけです。
映画内でも、おばあちゃんの少女時代の入れ替わりの話しを聞いた瀧は、
「宮水家の代々の入れ替わりはこの日のため(彗星落下の警告)にあったのかも知れない」
と気付いていましたよね。
また映画内ではその紋様の詳細まではさすがにわからないと思いますが、
三葉から渡され、瀧が巻いていた組紐の紋様(模様)は、
糸守湖と彗星とカタワレ時を表現しているのです。
組紐には表裏があります。
その表面の組紐の紋様は、
中心部の中央に大きな水色の部分があり、それは糸守湖を表しています。
その水色の中心部には赤いものがあります。これはティアマト彗星です。
つまり糸守湖に落下する彗星の隕石を表しているのです。
そしてその水色の周りにオレンジ色があり、それはカタワレ(黄昏)時です。
そして画像では描かれてはいませんが、本当は組紐の両端は赤色です。
これもカタワレ(黄昏)時なのです
(三葉が髪に結っている時は両端の赤色が見える訳です。)
そして、三葉と四葉が踊ってた神楽舞の振り付けは、
実は2つに割れ落下するティアマト彗星の姿を表現しているのですよ。
画像の神楽舞の最後のシーンでは、
三葉と四葉が手に持っている鈴付きの棒には赤く長い組紐があります。
鈴付きの棒にはとぐろを巻いた龍があり、これは彗星本体を、
赤く長い組紐は彗星の尾を表しているのですよ。
そして三葉と四葉は、神楽舞の最後にそれを上から下へ半円を描くようにそれぞれ左右へと振り降ろしているのです。
このように昔の人々は、ティアマト彗星落下の警告を組紐の紋様と神楽舞に託して、宮水家の巫女はそれを代々伝承して来ていた訳なのですよ。
つまりこれこそが宮水家の巫女の使命・宿命だった訳です。
三葉にもその血脈は受け継がれていたのです。
しかしその伝承の意味は忘れられていました。
そして3回目の彗星落下の惨劇が繰り返されてしまった訳です。
しかし『3年間のずれ』があるという宮水家の巫女の入れ替わり能力により、彗星落下の惨劇の歴史は改変されました。
三葉に入れ替わりが起きたのはそういう事なのだと思いますよ。
>変電所の爆発や放送はタキくんのアイディアとしても、結局は市長を動かしたから救えたわけですよね。
あくまでも参考までになのですが、
●「君の名は。~Another Side:Earthbound」(角川スニーカー文庫)
という外伝のアナザー小説があります。
加納 新太という方は、同じく新海誠監督の原作のサイドストーリー物語の
・『秒速5センチメートル one more side』
・『ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる』
・『雲のむこう、約束の場所』
を書かれているライトノベル作家の方です。
映画のエンディングのスタッフロールでは「脚本協力」となっています。
脚本制作過程で脚本会議にはすべて出席し、さまざまな意見を助言をしたりし、全6稿までおよんだ脚本のなかには、加納さんが執筆したバージョンも存在しているそうです。
③小説では 三葉としての瀧、勅使河原、四葉、そして三葉の父の俊樹という4人の視点で描かれた4つの短編の物語が書かれています。
そして三葉の父の俊樹の章にて
三葉の父と三葉らの母の二葉との出会いから映画での糸守町の全住民避難を決断する場面までが書かれています。
ここにて
三葉の父の俊樹は、二葉と出会い、やがて周囲の反対を押し切って結婚し幸せに暮らしていました。
二葉は生前の日常の中で俊樹に
「この世のすべてはあるべきところに収まるんやよ。」
と言っていました。
しかしやがて二葉は免疫系の病気で入院し、入院中にも同じことを弱々しく言い、素質ついに糸守町の病院で亡くなってしまいました。
俊樹は、その『二葉が若くして病死するのが定められた運命』という事を納得しなかったし、二葉が町外への大病院への転院の拒否は宮水家・宮水神社・糸守町という地域帯が二葉を縛り付けているという怒りを覚えていました。
その点から俊樹は一葉おばぁちゃんとも衝突が多くなり、ついに宮水神社から出て行きました。
そして俊樹は、二葉を縛り付けた宮水神社と糸守町の社会構造を作り変えてやろうと町長になる事を目指して2年後に当選しました。
このように俊樹は、現在は宮水家・宮水神社を増悪しており、娘の三葉に関しては成長にするにつれて最愛の人の二葉に似て来ている事が、かえって直視できずにすれ違ってお互い気まずくなっていました。
ただ本物の三葉が町長室へ駈け込んで来た時、彼女が明らかに三葉自身では無い事を直感的にも感じており、彼が否定していた入れ替わり現象伝説の発生には大変ショックを受けてはいました。