>日中戦争当時の中国は国家の体をなしていなかった(だから日本は中国侵略しても問題なし)』
冗談じゃない、日本が中国を侵略し始めた時に使ったヘタな言い訳けです。相変わらずそれを擁護するデ.タ.ラ.メな回答がありますね。
中華民国が国際連盟に加入したのは日本と同じ1920年。「国家の体をなしていない」国が国際連盟に入れる訳がない。そう言う超基本的な事すら理解出来ないのがネト○ヨさんたちですね(笑)。
確かに当時の中国はあの広大な大陸の隅々までは管理が行き届いていない国でしたが、それは中国の内政問題で、外国がとやかく言うべきものではない。しかも蒋介石が率いる国民党の主導で近代化を進めていました。
仮に日本の戦国時代や幕末の戊辰戦争の頃に、日本は統制が取れていない国だ、 国の指導者がいない、と言って外国軍が侵略してきたらそれを許しますか?許すわけはありませんね。
満州についてはまだ色々と誤解がある様ですね。その一番大きなものが「日本は日露戦争に勝ってロシアから満州を譲り受けた」です。日本が獲得したのは南満州鉄道の経営権と小さな遼東半島の先端地域の租借権だけでした。そしてそれを護る為に派遣されたのが日本陸軍の関東軍と呼ばれる部隊でした。
外国同士が自国領内で戦争し、領有国の頭越しに領土の権益を譲り合ったりしては中国としてはたまったものではなかったでしょうね。中国政府はロシアと日本に抗議しましたが、国内の政治事情もあり、この二つの大国に挟まれて苦労しました。
しかし関東軍はロシアから譲り受けた権益だけでは満足せず、満州全土を奪うために1931年に軍事行動を起こして侵略。「満州事変」です。関東軍は、中国軍が奇襲攻撃を仕掛けてきたから反撃した、と言い訳けをしましたがもちろん誰も信じません。これが純然たる侵略戦争だった事は、首謀者の関東軍参謀だった石原莞爾自身が認めています。堂々たる確信犯でした(笑)
昭和天皇は激怒、「今後私の承認なしに軍隊を動かす事はまかりならん!」と。しかし陸軍は一丸となって天皇を無視し、政府•軍トップは事後承諾。本来ならば首謀者たちは陸軍刑法で死刑に値いするのですが、爵位を受けたり昇進したり、、、いわゆる「軍の暴走」がここから始まって結局は日本を崩壊させてしまったのです。
日本による満州侵略は世界から非難され、中華民国政府の提訴で国際連盟が日本人も含めた調査団を派遣。その結果、中国サイドの挑発は無かった、日本軍の侵略行動だったと断定。それにも拘わらず、日本の顔を立てて日本の特殊権益を認めた寛容な条件で和解を図ろうとしましたが、日本は拒否。1932年に「満州国」を樹立し(のちに満州帝国と改名)、その20年前に崩壊していた清王朝の廃帝の溥儀と言う男を引っ張り出して満州帝国皇帝にでっち上げた。つまり満州事変は「日本の権益を護るため」の戦争ではなく、中国の領土である満州を侵略して植民地にする戦争だったのです。
そして1933年、国際連盟総会で満州国を否認する決議が全会一致で成立(反対は日本だけ、タイは棄権)。それに逆切れした日本は常任理事国であったにも拘わらず国際連盟を脱退。大日本帝国崩壊への第一歩を踏み出しました。
国際連盟の仲裁なんか意味が無い言う回答がありますが、侵略主義むき出しですね。今の中国、ロシアと同じです。
満州は領有権が明確ではなかったという人がいますがこれも誤解ですね。古くは伊藤博文も「満州は中国領だ。満州の事は中国政府に任せておけばいいだろう」と言っていたし、満州事変の時点では満州の人口は90%が漢民族で、満州族は10%。
清王朝崩壊に伴って成立した中華民国は新中国として満州の継続保持を声明しています。徳川幕府から明治政府に移行した様なものです。当時の日本政府の公式文書も満州が中国領である事を前提に書かれています。悪名高い「対華21ヶ条の要求」すらそうです。
石原莞爾は満州は日本経済にとって「生命線」だと言いましたが、外国が勝手にある国を生命線だと決めて軍隊を送り込んで占領したらその国としてはたまったものではない。ロシアや中国が「我が国にとっては日本は生命線だ」と言って乗り込んできたら?分かりますよね。
そして満州では元々いた中国人農民を追い出し日本から開拓団民を入植させて土地を与えた。開拓団の人たちに罪はないのですが、日本が敗戦した時、頼りにしていた日本軍はさっさと逃げてしまい、日本軍の高官の家族や満州国政の日本人の役人の家族は特別に仕立てた列車で逃げてしまった。残された開拓団の老若男女は侵略してきたロシア兵の暴行や、戻ってきた中国人農民の復讐で地獄を見ました。残留孤児も日本政府・軍部による棄民政策の犠牲者です。
満州を侵略した日本軍は満州を守る為と言って北支(中国北部)を侵略、北支を守る為と言って中支を侵略、と中国大陸の侵略を拡大、結局それが太平洋戦争の主因になって大日本帝国は滅びてしまいました。