武士のように刃物を携帯していたか
世界的に男性は武人であることが社会的地位を示すものでしたので、日本に限らず中国、インド、中東、欧州、そしてアフリカでも武器を日頃から携帯する文化がありました。
欧州では、日本の武士と同じように騎士が大名となって領地を治めていて、その大名たちが群雄割拠していた時代がありました。西暦1500年ごろまで、欧州ではそのような領主たち同士の覇権争いがあり、そのころは武人=騎士が日頃から帯刀していました。
しかし天下統一されると、国内で武器を携帯したりする必要性が低くなり、護身用としてももはや不要になってくると今度は江戸時代の武士のように、身分を示すもの、あるいは正装として帯刀するようになりました。
騎士の正装は鎧をまとった武装状態で、鎧はもちろん刀も軍用で重たいものでした。しかし戦争がなくなると、それは重たくて邪魔になったので、ファッションとして着用する刀はとても軽くて持ち運びに便利なものになりました。
そこで西洋の高位身分の者が儀礼で着用する刃物として選ばれたのが細剣(レイピアやエペ)です。刺突を主に行う、フェンシングの剣です。フェンシング競技は貴族の決闘をゲーム化したものです。
元々、細剣は鎧の隙間を攻撃するための作られたものですが、この剣が開発された時代にはすでに騎士は戦争で無力になっていたため、もっぱら貴族等が儀礼的に持ち歩くファッション用の武器になりました。
護身用あるいは暗殺として実戦で使用する場合は、細剣と防御短剣(マインゴーシュ)などを両手で使用します。普段から盾を持ち歩いたりできないので、相手の剣を受け止めるための武器です。マインゴーシュは懐刀としても有用で、暗殺者にも多用されたり、一般人の護身武器としてもよく用いられました。
しかし基本的に刃傷沙汰が多発しているわけでもないので、高位者は細剣のみを身に着けていることが多く、また決闘などの場合は日時とルールが定められているため、突発的に何かすることはありません。決闘のルールがそのまま現在のフェンシングとなっています。
フェンシングにはルールがいくつかありますが、突き刺しのみを重視するエペ(細剣)競技と、斬撃を加えたサーブル(刀)のルールがあります。サーブルはサーベルを使用した決闘のやり方です。当時も中東の刀剣から派生した馬上からの攻撃にも適したサーベルを携帯することもありました。
時代が下ると、サーベルのほうが主流になり、明治維新以降は日本でもサーベルを携帯するようになりました。軍人や警察などはこれらを着用していました。むしろ西洋で帯刀が軍隊からも一般的でなくなったあとも、日本軍は最後までサーベル(ないし上級士官なら刀)を帯刀しました。
また、やはり時代が近代に近づくと西洋では帯刀が一般的ではなくなり、軍人専用の装備になりました。護身用および決闘用としては剣ではなくピストルが多くなってきました。ピストル決闘は15世紀前後くらいからすでにあり、先込めピストルの決闘セットもよく使用されていました。多くの国で決闘は違法となったものの、決闘は水面下で公然と行われており、近現代に至るまで実施されていました。