広島城、縮景園以外で。
比治山にある「御便殿跡」
日清戦争時(1894年~1895年)、広島に臨時帝国議会とともに天皇の休憩所として御便殿が設置されました。1909年(明治42年)10月に御便殿は比治山北端に移築されましたが、1945年(昭和20年)8月6日に投下された原爆により全壊しました。
基町にある「御用井」
日清戦争の際、広島大本営で指揮を執られた明治天皇の御用水の井戸の跡です。
基町にある「臨時帝国議会仮議事堂跡」
石碑はありませんが、説明板がコンビニの入口の左に建っています。
国泰寺にある「明治天皇行幸碑」と「行啓記念碑」
広島国泰寺高校の敷地内に明治天皇行幸碑と昭和天皇が皇太子時代の行啓記念碑が建っています。
明治天皇は山陽道巡幸で1885年(明治18年)8月3日、広島国泰寺高校の前身である広島中学校へ立ち寄られました。
宇品海岸にある「明治天皇御駐蹕趾」
宇品中央公園の南東角に建っています。
駐蹕の「蹕」の字は、足偏に畢(ひつ)の字ではなく、馬偏に畢の字が彫られていました。
1885年(明治18年)8月4日、明治天皇は宇品から船で出港され、呉、倉橋島へ立ち寄られました。
宇品海岸にある「御幸松」
御幸松碑は元はここ宇品海岸2丁目にあり、交通上の理由で千田廟公園に移設されていたのですが、2010年元の位置近くに戻されました。
御幸松碑が戻された際、隣に新しく松の木が植えられています。
1885年(明治18年)8月4日、明治天皇は宇品から船で出港され、呉、倉橋島へ立ち寄られました。
草津東にある「明治天皇草津御小休所阯(小泉本店・置鳳輦止處碑)」
酒蔵「小泉本店」の前に「置鳳輦之處」石碑が建っています。小泉本店は厳島神社へお神酒も奉納している酒蔵だそうです。
1885年(明治18年)8月1日、明治天皇は小泉甚右衞門宅で休憩されました。