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2023/11/13 17:08

33回答

明治から平成までの元号は中国の古典から着想を得たそうですが、何故ですか? 日本の元号なんですから日本の古典から考えればよかったのでは?

日本史46閲覧

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回答(3件)

まず元号というものが中国由来です。 日本で元号を採用したのは、当時の超大国の中国に舐められないようにする為です。だから中国の書物から考えました。そしてそれが、伝統になりました。 伝統だから、元号つけるとなったら、日本語学者や、日本の作家や、大臣とかも漢籍しか見なかったわけです。だってそれが伝統で普通だから… 若い人は分からない感覚かも知らないけど、昭和生まれの私なんて、ニュースで令和が万葉集の序文が由来だと聞いて「その手があったか!斬新!」と、心底驚いたものです。 今回は、元号を決める会議のメンバーに、90歳になろうという超有名な万葉集の研究者がいました。あの長老が万葉集をもってきたら、みんな納得すると思います。それにしてもよく思いついたなと感心してしまいます。 あと一般人がよく分からない言語を、知識人が自慢気に「こんな言葉読めるぜ。 書けるぜ」ってなるのは、古今東西よくある事です。 西洋だって、今となっては誰も話してないような古代ギリシャ語やラテン語が分かると「おおー。こいつ頭良い。教養ある!由緒正しい」って感じになるんです。 私はよく知らないのですが、ハリポタの魔法学校の門?のには、ラテン語で「眠った龍を起こすな」と書いてあるそうですね?イギリスの作家のお話にも関わらず、英語では無く…何語に訳されてもラテン語のまま。それは魔法学校が、あたかも大昔からある権威ある学校だと演出する為でしょう。 元号もあえて中国由来にする事で「ありがたみ」を出していたのでしょうね。

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明治からではなく、もっと昔から、大半の元号は、 中国の古典由来ですよ。 例えば、明治の前の慶応は、「文選」という中国の詩集に掲載された、 「慶雲応輝」という言葉から採択されています。 大化の改新の大化は、「宋書」の「神武鷹揚大化咸煕」という一節から、 採られています。 つまり、それが我が国の伝統なのです。

そもそも元号の考え自体が大陸の方から伝わってきたものと記憶しています。 仏教彫刻に着物のひだ・しわが表現されているのはギリシャ彫刻の影響だと言われていますし、そのギリシャはエジプトなどのアフリカ発の文明から影響を受けているという「ブラックアテナ」論争もありました。 イギリスのティータイムの習慣は中国文化の影響だったと思いますし、日本文化の影響を受けたフランスの芸術家も多くいたと思いますし、日本も東京音頭では西洋音楽が下地にされ、演歌はブルースの要素が入っていると言われています。 それぞれの国や地域でのオリジナリティは国を超えて世界中に影響を与えます。ビリヤードの玉のように。国を厳密に囲い込んだのはここ200年くらいのことだと思いますが、それ以前もそれ以降も文化の伝播は相互に営業を与え、それぞれの国や地域の新たなオリジナリティを作っていくのだと思います。