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お城っていいですよね 私は旅行の際に必ず近くのお城に寄るのですが、疑問があります。

回答(15件)

簡単に言えば天守閣があるようなお城は、織田信長が建てた安土城が 最初です。 それ以前のお城は、天守閣のないお城です。

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武将の強さ、一理あるかも? 天守閣が作られる様になった戦国時代の末期にはそれまで山地や丘陵に作ってた城を平地に作る様になりました。 ただ、城を作れる平地はそんな都合よくある訳がなく、地均しから始めなくちゃならない 「ほぼ人力で」 となると、動員能力の大きな武将(強い)は好きに作れるんで、城の縄張りのど真ん中にドン、例えば名古屋城は家康が諸大名へ命じて作らせた自分の息子の城です。 動員能力が取れなければ、自然の地形(主に河川)を利用して作るので城を建てる土地の面積が限られることになります(天守閣そのものは暮らすには不便だし戦闘においてもあれば必ずしも有利という訳でもなかったりします)。 なので城の縄張りでは天守閣が端っこになったり

お城いいですよね〜! たくさん素敵な回答が出ていますが、整理するとこんな感じです: ・戦国時代まで: いわゆる「城の顔」である「天守(=天守閣)」はなかった ・戦国時代: 信長が安土城で壮麗な天守を作り、秀吉が大坂城で取り入れて、天守建設は一気にブームに ・江戸時代: 一国一城令(一つの国(地域)に持てるのは一つの天守のみOK!)が出て数が一気に減る ・明治時代: 廃城令(天守を含めて城は全部潰せ)でほとんどの城は壊される。かろうじて残されたものも戦争の空爆で壊されたものも で、天守っていうのは城の顔なので、今でもそうですが「残す(or再建する)なら天守」という傾向が強くあります。 元々天守は安土城などわずかな例を除けば、住むためのものではありませんでした。主要な目的は、藩主の力の誇示のためと、いざ攻撃を受けた時に籠城するという最終手段のためです。 しかし江戸時代に入って平和になり、だんだん城砦としての意義も薄れてくると、主に武器庫あるいは兵糧などを備蓄しておく倉庫として使われました。だって領主にしても天守のあんな狭くて急な階段登り降りするの大変じゃないですか。 なので、天守のすぐ隣に広い御殿が建てられ、藩主は家族とそこで暮らし、同じ御殿で政務も執り行っていました。山の上に天守がある場合も、御殿は山の麓に建てられました。 こちらは戦前の名古屋城の写真。御殿の様子がよくわかります。名古屋城は頑張って天守と御殿を再建したので、現在は戦前と同じような感じで御殿も建っています(天守はどう再建するかで大揉めに揉めてますが) https://network2010.org/article/121 明治になって廃城令で多くの天守も御殿も壊されてしまいましたが、かろうじて残った天守はあってもほとんどの御殿は壊されてしまったんです。今から見ると素晴らしい建物だったと思いますが、当時はある意味まだ「たくさんある建物」という感じだったからか、天守は必死で残す運動とかあっても御殿はほとんどが取り壊されたんです。 元々御殿は基本的に平屋で高さがない分広い敷地を占めていました。なのでそれらが壊されると、天守の隣とかがらんとした土地だけが残ってしまった…という感じになってるお城が多いです。 塀の上にちょこんと、っていうのは天守ではなく「櫓(やぐら)」が残っているパターンだと思います。天守を再建するのは大変ですし、櫓は似たような形なので、天守が落雷などで消失してしまった後は再建されずに櫓を(藩主の威光の象徴として)天守代わりに使っていた例はたくさんあります。 例えば大阪城も本来多くの御殿の建物があった本丸(天守の隣の敷地)に近代的な建物がありますが、あれは明治に御殿が壊された後に軍部が建てた建物です。あの辺りには所狭しと御殿が建っていたのかと想像すると、ほんの少しの切なさと時代の移り変わりを感じられてそれもまた一興です。 建物群に比べると城壁はそのまま残っている場合も多く、「何もない」って言われる城でも城好きに言わせると「いやいやいや」ってなります。石垣の技術は素晴らしいの一言です。 お城はそれぞれがいろんな運命をたどって今の姿があります。少しずついろいろ楽しんでくださいね。

「城」というのは外堀や内堀、本丸や天守などを引っくるめた 全体のことを言います。 天守閣だけを「城」だと思っていませんか。