戦国時代の 御館の乱の後の上杉家と、長篠の戦いの後の武田家。 どっちも弱体化したそうですが、どっちの方が弱体化が激しいと思いますか?

日本史 | 歴史95閲覧

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お礼日時:2023/11/30 22:41

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圧倒的に上杉家です。 武田は確かに長篠の戦で大きな損害を受けましたが、甲斐と同じく武田の力が浸透している信濃駿河の兵力は大きな損害はなく、十分な力を維持していました。 対して上杉家の内乱である御館の乱は越後国内を二分にした内乱であり、完全なつぶし合いになりました。 また、景勝勝利後に褒章は自身の傘下である上田長尾氏家臣に対して厚くしたことで元々独立精神があった揚北衆(今の下越地方の国人衆)、特にその筆頭であった新発田氏は不満を持ち反乱を起こしました。 これにより上杉謙信が育て上げた強力な軍団は弱体化し、その隙を突く形で謙信時代に獲得した能登越中は攻略され、更に武田滅亡後に信濃も織田領になったことで越中からは佐々成政、信濃からは森長可、更に反乱中の新発田といつ滅亡しても不思議じゃない状態でした。

御館の乱の方が弱体化が激しいでしょう。 武田は長篠の後7年後に滅亡ですが、 上杉の場合勝った景勝ですら、 「日の本六十余州と相対し討ち死にする覚悟だ」と書面に残しましたし。

長篠合戦の後の武田家の方がひどいと思います。