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日本史:ゴーストップ事件をご存じの方はおられますか?

kh_********さん

2009/9/510:44:03

日本史:ゴーストップ事件をご存じの方はおられますか?

よほど戦前の事件に詳しい人しか知らないような事件だと思いますが、この事件をご存じの方はおられますか?

個人的な意見ですが、この事件は軍部台頭の機会になったのではなく、軍部が台頭してきたことを象徴する事件だと思います。

補足結構知っておられる方が多いのですね。その後の関係者の末路などはご存じでしょうか?軍関係者は、事件の当事者を除いては出世していますね。当事者は、余りよい末路とは言えませんけど・・・

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coo********さん

編集あり2009/9/611:45:07

ゴーストップ事件のあらましは、他の方も書いてますし、ウィキにもありますので、ほとんどの皆さんがご存じない「松嶋遊郭争闘事件」について書くと、

1884年(明治17年)、に同様な軍と警察の衝突である松嶋遊郭事件が起こってます。
一人の兵士が遊郭の二階から巡回していた巡査めがけて放尿したことが発端です。巡査が兵士を連行しようとして、正月休みで松嶋遊郭に繰り出していた大阪鎮台の兵士1400人と西警察署の警官600人が、警官も兵士も抜剣し、更に憲兵隊200人も出動し、死者2人を出す大乱闘となった。
陸軍省、内務省とも主張を譲らず、司法裁判に付され、結末は陸軍有利なものとなったようです。

はや、明治にこの種の事件が、しかも2000人以上を巻き込んで、死者まで出すという大規模なものが起こってます。

>軍部が台頭してきたことを象徴する事件だと思います。
確かにそうともいえますが、こうしたものとしてこの事件をみるのはいささか早計だと思います。
事件そのものというより、当時の師団司令部が「皇軍の威信にかかわる重大事態である」という声明のなかで、「皇軍」という言葉を持ち出したことが時代を感じさせますね。もともと、陸軍は、自らは「国軍」と自称していました。官民そろって「皇軍」としたところに軍部の台頭が見えます。ちなみに海軍は「皇軍」という呼称を使わなかったし、嫌ってました。

この事件については、内政・民政の中心であり、長である内務大臣は内閣総理大臣に次ぐ副総理の格式を持った内務省と陸軍(省ではない)との、官僚組織の軋轢のほうが興味深いです。

そもそも、警視庁を作ったのは川路利良であった。彼は大警視であるとともに、陸軍少将という軍職を兼ねていました。
西南戦争では、川路は警視庁警視官で編成された別働第3旅団の旅団長(陸軍少将)として九州を転戦、激戦となった3月の田原坂の戦いでは警視隊から選抜された抜刀隊が活躍して薩摩軍を退けた。
川路は、ジョゼフ・フーシェに範をとったフランスの警察制度を参考にした警視庁の創設に努めたとされていますので、もし1879年に川路が死亡していないとしたら、松嶋遊郭事件でどういう対応をしていただろうか。あるいは、後を引き継いだ、「プライド」高き警察・内務官僚たちが軍に押さえつけられるのを良しとせず、たとえ省益のためであったにせよ、フランスの国家憲兵隊のような組織拡充をすべきだったのではと思います。政争から軍事権を隔離し、政治家の先導による軍隊による内乱を防ぐために、創設された統帥権を取り入れただけでは、治安対策が不完全であり、軍をけん制できる武装警察の着想が無かったことが、軍部の暴走を可能にしたという、旧憲法の国家デザインの失敗を、不磨の大典である憲法改正を経ずして、修正できたのではと思います。

補足
国家憲兵隊とは
フランス共和国に於いて陸軍・海軍・空軍に次ぐ第4の軍隊として組織されている。軍内の憲兵業務、警備公安警察活動と地方部における通常警察業務が主要任務である。フランス国家警察と並び、フランスにおける主要警察機関の一つである。その任務は犯罪捜査、暴動の鎮圧、海上の治安維持、テロ対策、政府庁舎等の警備、外国要人に対する儀杖業務などである。2005年時点の人員は約10万4千名。

オマケ
戦後も引きずる、旧内務省と防衛庁の官僚たちの確執
昭和29年に、防衛庁が設置されました。
新しい組織には当然自前の官僚がいないので、戦前の陸・海軍省の軍人たちを避け、各官庁から出向となりました。
経理局長は大蔵省、装備局長は通産省、衛生局長は厚生省、国際参事官は外務省、そして防衛局長、官房長、人事教育局長発足当初は事務次官は同じ治安、武器を使用することもあり警察庁から就任していました。
すなわち、防衛庁=大蔵省と警察庁の植民地だったわけです。
昭和63年ごろから、防衛庁採用の官僚は自前の幹部を求めます。人事抗争が起こりはじめました。
昭和63年 西広整輝(防衛庁)
平成2年 依田智治(警察庁) のち内閣安全保障室長を経て参議院議員
平成3年 日吉章 (大蔵省)
平成5年 畠山蕃 (大蔵省)
平成7年 村田直昭(防衛庁)
平成9年 秋山昌広(大蔵省) のち台湾の諜報機関から金を貰っていて問題になる。
平成10年 江間清二(防衛庁)
平成12年 佐藤謙 (大蔵省)
平成14年 伊藤康成(防衛庁)
平成15年 守屋武昌(防衛庁=防衛省)
ここらから、ご存知の、守屋武昌の登場ですね。

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age********さん

2009/9/518:31:32

皆さんの回答に豆知識として補足します。
この事件当時の大阪府警の粟屋仙吉氏は、のちに広島市長となり、あの原爆で亡くなりました。
もしこの事件で折れることなく、その後の軍部の暴走を止めることが出来ていれば、あの悲劇は起きなかったかも知れません。

yes********さん

2009/9/513:56:26

確か昭和8年の5月頃に大阪市のとある交差点で、
赤信号なのに無視して歩道を渡った陸軍の兵隊が、
警察官に注意を受けましたが、
「私は陛下に体を預けた軍人であり、軍装で歩いている時は一般人の命令にとやかく言われる必要がない」
と口答えをしました。
その警察官も「陛下の股肱で軍装をしていても市道を歩く時は民間人だ。われわれのいうことに従いなさい」
と反撥しました。
その場で収まらず、陸軍と大阪府警で謝れ、謝らないで大喧嘩になり、
しまいには陸軍上層部と内務省や警視総監まで出てくる始末になり、
マスコミも面白がって扇動的に報道します。
時の陸軍大臣の荒木貞夫は「威信をかけても大阪府警に土下座させる」
と息巻いていましたが、
その年の秋の陸軍大演習で陛下に「大阪のあの事件はどうなったのか?」
と御下問をうけ、荒木陸相は「身命をとして御解決いたします」と奉答し、
演習から帰ると、大阪の第5師団長だった寺内寿中将に
「何をもたもたしているのか、さっさと解決しろっ!」と怒鳴りつけ
第5師団と大阪府警の協議のすえ、
事件のあった交差点で、当事者の兵隊と巡査を握手させ、
「仲直りして、事件は解決しました」ということにして、
一件落着ということになりました。
まだこの時代は軍に口が聞ける時代でしたね。

xmd********さん

編集あり2009/9/512:16:12

当時の新聞や雑誌を読むと、殆どが軍部の味方をし、警察を非難しています。
国民の警察に対する反感を現わしているのと同時に、軍部の台頭を許す素地が出来つつあることを示しているのではないでしょうか。

mek********さん

2009/9/511:20:08

もちろん知ってますよ。よほど戦前の事件に詳しい人しか知らないような事件だとは思いません。平和を愛好する国民としては当然知っていてしかるべきでしょう。よくは分からないけど、大阪の人なら子供でも知っているのでは?そりゃ大げさか。「軍部が台頭してきたことを象徴する事件」であるともいえますが、法理より軍人の横暴が優先するという既成事実となり、そうした目的に為に軍部に利用され、大げさに取り上げられた事件だともいえます。法理より情理を優先するのは、日本人の体質なのではないでしょうか。現代でもそういう人はいます。というか大勢を占めていると思います。法理を情念的に敵視している人はいまでも多いと思ふ。法理派と情理派の激突が、ゴーストップ事件の本質だと思います。結局、国民は情理派を支持し戦争に突入します。今でも法理派と情理派の激突はいたるところで起きていますよ。ちなみに私は法理派の立場です。事件の詳細な経緯までは知りませんが、戦前の日本の方向を決定付けた意味は決して軽くないと思います。

wak********さん

2009/9/511:04:12

ウィキペディアに出ております。陸軍と内務省との面子争いですが、軍部が台頭してきたことを象徴する事件のように記述されておりますね。日本の戦前全般の歴史からみれば大した事件ではないと思います。「陸軍が偉いか警察が偉いか」の争いがおもしろおかしく取り上げられたと思います。これは昭和8年のことですが事後の歴史への影響はどこにも記述されていません。

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