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法句経185に「誹(そし)らず 害(そこな)わず 戒(いまし)めにおのれをまも...

gom********さん

2009/10/2313:24:43

法句経185に「誹(そし)らず 害(そこな)わず 戒(いまし)めにおのれをまもり 食(かて)において 量(ほど)を知り

閑(しず)かなる所に座して しかも易(やす)きに住せざれ」 と有ります

これは、大人(年寄り)に成れ!と言ってるようで、正義感に燃えて、社会で悶着を、起こすな!それは、若気のいたりだ!

ともとれます。好きな教えなのですが、佛教の教えは、?保守的なのでしょうか?造詣の深い方、教えて下さい。

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ベストアンサーに選ばれた回答

さくらんさん

2009/10/2314:44:28

造詣の深い方ではないのでお答えしにくかったのですけど(笑)、埋もれてしまうのも残念な気がしましたので。

保守的というよりも、法句経ぐらいの経は釈尊の思想が色濃く残っている(と思われている)から、あえて言えば「冷静」なのだと思います。落ち着いた大人の判断ですよねw。
仏教はあまりにも門戸が広いので、特に日本では、前衛的な…時には暑苦しいほどの思想もありますね。日本オリジナルの思想は後になればなるほど客人神として請来された経緯の為か熱くなります。

昔教えてもらった言葉に「キリストは悩める電波青年、仏陀は悟りきった中年」というのがありました。不遜な例えですけれど、ある意味(例えば聖書と大蔵経について考えてみても)当たっているなと思います。

ちなみに「恨みは恨みをやむことによってやむ」の句が好きです。
いろんなものを「恨んで」いたときに、一番私が憎かったのは「恨みをやめられない自分」でした。

質問した人からのコメント

2009/10/29 13:29:21

降参 分かり易く、ありがとう!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

bou********さん

編集あり2009/10/2319:47:10

私はこの句の後半部分に焦点を当てて。

この句は最初期の仏教における出家修行者に対するお釈迦様の教えであると思います。

最初期の仏教は、サーリプッタが、「修行完成者にとっては、岩窟で修行するのも、街中で修行するのも同じことでである。」と宣言するまでは、尼僧さえ、午前中の托鉢が終わると、虎や大蛇が出没する寒林(死体埋葬所)や岩窟、岩山で、ひたすら「不死の境地」である中道の境地を求め、禅定の修行に没頭していました。森の中といえども、私たちが描く森とは大きく違い、背の低い潅木が生い茂るだけのところでしたので、雨が降るとずぶ濡れになって、禅定を行っていたようです。わけても、蚊がでてきても、追い払うことをせず、禅定修行に打ち込むのですが、蚊に刺されたかゆみをこらえ、意識を禅定に集中することが、ことのほか忍耐を要したようです。

閑(しず)かなる所に座してとありますが、壮絶なものもあったようです。それでも、托鉢を終わって、大蛇や虎の住むところで、禅定の修行するため、森に行くのは楽しくてしょうがないという尼僧の告白もあります。

中村元氏の著によれば、今日のインド社会でも25年以上立ったままで生活している(睡眠も立った状態でとるそうです)ジャイナ教苦行者がいるそうですが、当時の釈尊の直弟子たちの言行録を収めた『テーラーガーター』によれば、ある長老は、「不死の境地」を獲得するまで、決して、横臥することをせず、禅定の修行に励んでいたようです。「閑(しず)かなる所に座して しかも易(やす)きに住せざれ」とあるのは、誘惑が多く、人がたくさんいる便利な所ではなく、弟子たちを清浄行の修行に専念させるための実践の戒めの句であると思います。

「比丘たちよ、遍歴せよ。多くの人々の利益のため、多くの人々の安楽のため、世間に対する哀れみのために、神々と人間の福祉、利益、安楽のために。」

これはお釈迦様の開教宣言ですが、目的として自身と人々の幸福ということがまずあり、岩山や寒林における四禅のの修行の修果として清浄な命を獲得し、ついに法を説くために町にでるというのが最初期の仏教徒の姿でした。
出家者にすべく良家の息女や息子等に法を説いて、糞掃衣を身にまとった町を集団で闊歩する物凄い威厳のある修行僧の一団は、最初は町の人に非常に恐れられ、また大切に育てた自分の子供を奪われてしまうため、最初のころは社会と非常な軋轢もあったたようです。おそらく、私たちの想像をはるかに超える威厳であったろうと思います。そのような出家修行者が街中を練り歩くのですから、脅威以外のものではなかったでしょう。

このように仏教の精神は決して保守的なものでなかったと思います。この句の面向きの静かな口調の奥に、弟子たちに、その覚悟の程と、克己の精神を求める釈尊の厳愛が溢れているのだと思います。

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