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聖徳太子は実在したのですか?実在しなかったのですか?

hyd********さん

2009/12/103:45:34

聖徳太子は実在したのですか?実在しなかったのですか?

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sun********さん

編集あり2009/12/106:27:16

聖徳太子と呼ばれた人間は実在してません。

ただ、亡くなってから数十年の後に、『聖徳太子』という称号を贈られた皇族は、実在していました。厩戸皇子とか、厩戸王とか、上宮王とか呼ばれた用明天皇の息子サンです。

日本書紀に書かれている聖徳太子の行った業績は、異様なまでにスゴイのでフィクションではないかという学説と、聖徳太子という名は後世に送られた称号なので聖徳太子と呼ぶのは間違いだ厩戸皇子と呼ぶのが正しい・・・・・という話が、いつの間にやら、厩戸皇子すら存在していなかったという話にすり替わっただけです。

たとえば、戦国武将の真田幸村と呼ぶには間違いで、本当は真田信繁が正しい、幸村なんて江戸時代の講談なんかで作られた名前だよ・・・・・・・という話が、いつのまにやら真田信繁は存在すらしなかったみたいになっちゃうような誤解です。

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asd********さん

2009/12/618:36:31

冠位十二階は、百年後の事ですって(^o^)
冠位十二階は、603年に定められた日本最初の冠位です。
百年後の事ですって、
701年には大宝律令ができており、大宝律令の時には、冠位は三十に増えていますよ。

それに、大宝律令の時に急に三十に増えた訳ではありません。
六四七年、六四九年、六六四年、六八五年、六八九年とだんだんと増えていったのです。

これらの事実をどう説明するのですか?

そもそも、大宝律令の時は、位冠の授与が停止され、
位階の授与は、位記の交付によって行われる事になったのです。

わかりやすく言うと、紫の冠や紫の衣服を与える事はなくなり、
紙一枚ですませるようになったのです。
いちいち冠や衣服を与えていたのでは、お金がもったいないですからね。

聖徳太子はいなかった、厩戸皇子はいたですって。
へー、それは、つまりこういう事ですよね。
シャカは、いなかった、シッダルタがいた。
孔子は、いなかった、丘仲尼がいた。
仏教に対する冒涜であり、
儒教に対する冒涜ですよねー。
過去の歴史や文化に対する冒涜だと思うなぁ。

いやいや、現在ただいま、平成天皇と呼びかけるのは、ものすごーく失礼な事ですよ。
もちろん、お亡くなりになった後は、平成天皇と呼ぶのが正しいですけどね。
昭和天皇だって、
大正天皇だって、
明治天皇だって、
生前その名で呼ばれる事はなかったんですよ。

自分の国の文化や歴史ぐらい知っておきましょうよ。
それに、孔子は中国ですし、
シャカは、インドです。
自国の文化を尊重できないものは、他国の文化も平気で踏みにじるという良い例ですね。

太子信仰は、古来からあり、現在も脈々と受け継がれているんですよ。
決して過去のものではないです。

だいたいねー、
藤原氏が光明皇后を神格化するのは、分かりますが・・・。
なーんで、
藤原氏が蘇我系の皇子の聖徳太子を神格化する必要があるんですか?

光明皇后の行いが、藤原氏によって、でっち上げられたものだ、という可能性はあります。
藤原氏には、動機が充分にある。

しかし、聖徳太子を神格化するメリットは藤原氏には全くありません。
藤原氏には、デメリットしかありません。

では、藤原氏が聖徳太子の存在を歴史から抹殺しようとすれば、どうなるか?
反藤原氏勢力はこぞって騒ぐ事でしょう。
藤原氏には、皇室を敬う心がない、とね。

よーするに、
藤原氏には、聖徳太子を正確に記述する必要があった。
神格化してもメリットはないし、
歴史から抹殺しようとすれば、皇室に対する忠誠心を疑われますからね。

もちろん、聖徳太子の死後、百年近い間に、
自然に話に尾ひれがついていった、という可能性はあるし、むしろ、それが真実でしょう。
しかし、政治的なプロパガンダによって太子信仰が起こったという可能性は、絶対にない。

聖徳太子は偉大な皇子だった、
だから民間信仰、すなわち太子信仰が生まれたのです。

藤原氏は、忠誠心を疑われるため、
その頃には既に歴史的事実と成りつつあった太子信仰を、
忠実に記録する必要があったのです。

iji********さん

編集あり2009/12/515:12:52

厩戸皇子はいたが聖徳太子は実在していなかった
と某歴史番組がいっておりました。
後時代にたしか藤原不比等がいいように聖徳太子という人物を作ったそうです。
理由は忘れましたすみません。
聖徳太子の肖像画も後時代の創作です。実際の顔は不明です。
ようするに厩戸皇子はただの1皇子でしかなかったと思われます。

あと蘇我氏も古代書に書かれているような悪者ではなかったと思われます。
ある場所では蘇我入鹿が神社に祀られていると聞きます。
これも某番組で知りましたすみません。あくまでも仮説です。あまり本気にしないでください。

2009/12/121:47:14

聖徳太子の存在と密接に関係してるのが大化の改新で太子の政治が大化の改新の前提となっています。
しかし太子が行ったとされる17条憲法とか官位12階は使われている文字や言い回しから100年以上の誤差があることははっきりしています。
また、蘇我氏が記紀の記述のように酷い一族だったのか疑問で日本書紀以外蘇我氏を悪者にするような資料は出てこないのでこれも作り話と推測できます。
しかも蘇我入鹿は祟り神として祭られてることを考慮すると善政を敷いていた蘇我氏を保守派の中臣鎌足達が殺した事件を
正当化するためだけに聖徳太子というカリスマを丁稚上げて藤原氏の権力基盤に使ったと考えるのが自然です。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

was********さん

2009/12/114:46:27

黙れ

っていうか聖徳太子がいるかどうか
知っている奴が今居る訳ねーだろ何年前の話してんだ
お前頭がいかれてるな

そんなに知りたいんだったらタイムスリップでもして来れば?
まぁお前みたいな凡人がタイムスリップなんて出来るわけねえよな

for********さん

2009/12/108:11:28

聖徳太子とモデルとなった人間はいたかも知れませんが、実在したかというと疑問です。
日本書記にしか太子の記述がない。
推古天皇の時に摂政になったといわれているが、摂政というポストが唐突になぜ設置されたかがなぞ。
17条憲法制定の第1条が和をもって尊しとあるが聖徳太子は熱心な仏教徒であるとされているため矛盾する。
聖徳太子は蘇我入鹿と同族であり、大化の改新のさい蘇我氏とともに太子の子孫は滅ぼされた。いってみれば逆賊の家系であり日本書記に逆賊の祖の太子が礼賛される記述を残す必要がない。
よって、いなかったというのがわたくしの意見です。

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