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フェートン号事件が起こった1808年の時点では、 長崎にオランダ商館があったわけ...

kor********さん

2010/1/916:30:47

フェートン号事件が起こった1808年の時点では、
長崎にオランダ商館があったわけですよね?
オランダ商館…オランダ東インド会社の日本支店。
でも、オランダ東インド会社は
1789年に活動を停止しています。(by辞書)

どういうことなんですか?

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ina********さん

2010/1/917:08:32

フランス革命が起こると、1793年これに同調するオランダの共和派はフランス革命軍を自国内に引き入れて王家をイギリスに追い出してしまった。
こうしてオランダは名目だけ存続するフランスの傀儡国家となり、1806年にはナポレオンの弟を王に迎えさせられる。
事実上本国の無くなったオランダ東インド会社は混乱し解散してしまう。
さらにオランダの植民地は次々にフランスに対抗するイギリスによって接収されてしまった。

この中で日本の長崎出島オランダ商館とアフリカ西海岸のエルミナ要塞は僻地という事もあってイギリスに接収されず、オランダとして自治を行った。
とは言え、出島の場合本国からの補給と交代を受けられなくなってかなり困窮した。
中立のアメリカ船をオランダ船に偽装させて入港させ補給や交易を細々と行ったという。

この時期のオランダ商館長ドゥーフはオランダが独立を取り戻すまで14年間(日本滞在は通算約20年)におよび商館長を勤め、この間イギリスの接収を拒み、日本との関係を保ち続けた。

この功績によりオランダが独立を取り戻すと、ドゥーフは国家の名誉を保ったとしてオランダの最高勲章「オランダ獅子士勲章」を賜ったという。

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mek********さん

2010/1/916:51:33

1789?1798年じゃなかったか。その頃のオランダ本国は、フランス革命の余波でフランスに侵略されて、その関係でオランダ東インド会社が活動停止に追い込まれたのです。つまりフランスの圧力によって、強制されたのだ。しかし、それはあくまでオランダ本国の話です。オランダ領東インド(現在のインドネシア)の残存勢力は、そんなの関係ねーと活動を続けていたのです。もちろん長崎に駐在している者も同じです。革命フランスはフランス周辺に軍を進めましたが、全世界を征服したわけでもなんでもないのです。インドネシアのオランダ東インド会社の社員はフランスの命令など聞く必要はないのだ。もちろんオランダ商館を撤収する義理も必要も無いのです。今までどおり商売を続けていたのです。

これと全く同じ構図が第二次世界大戦でも繰り返されます。オランダはナチス・ドイツに占領されましたが、オランダ領インドネシアの植民地政府は、本国の事情と関係なく連合国側で戦いました。

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