ここから本文です

芭蕉の弟子、河合曾良についてできるだけ詳しく教えてください。どんなに長くなっ...

des********さん

2010/1/2418:10:36

芭蕉の弟子、河合曾良についてできるだけ詳しく教えてください。どんなに長くなっても良いです。また、河合曾良に関するサイトがあればご紹介ください。

また、どのようにして河合曾良を知ったのかということも書いてくださると光栄です。よろしくお願いします。

補足あとは、なぜ河合曾良という名前を付けたのか、というのも疑問です。彼の出身地が曽根川だからそれをもじって名前をつけたという説がありますが、本当なのですか。また名前を付けたのは松尾芭蕉だと聞いていますが、本当ですか?質問ばかりですいませんが、教えてください!!

閲覧数:
6,029
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

norikazuさん

2010/1/2418:44:45

ウイキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%9B%BD%E8%89%AF

曽良(そら) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1649―1710)。江戸中期の俳人、神道家。信濃(しなの)国上諏訪(かみすわ)(長野県諏訪市)の人。高野家に生まれて岩波家を嗣(つ)ぎ、岩波庄右衛門正字(しょうえもんまさたか)と名のる。曽良は俳号。若いころ伊勢(いせ)長島藩に仕官、1683年(天和3)ごろまでに致仕(ちし)して江戸に下り、幕府の神道方吉川惟足(よしかわこれたり)について神道(しんとう)、和歌などを学び、やがて芭蕉(ばしょう)に入門。このころ河合惣五郎(かわいそうごろう)を通称としたか。87年(貞享4)秋、芭蕉の『鹿島詣(かしまもうで)』の旅に宗波(そうは)とともに従い、89年(元禄2)の『おくのほそ道』行脚(あんぎゃ)にも随行。その間に書き留めた『曽良旅日記』は奥羽北陸旅行の実態を綿密に記録したもので、『おくのほそ道』研究上の貴重な資料である。神道家としての活動は分明を欠くが、芭蕉死没当時にはなんらかの公務に従事していたらしい。1710年(宝永7)3月、幕府の巡国使の随員として九州方面に赴いたが、5月22日壱岐(いき)国勝本で病没した。彼は隠逸閑雅を好む、温厚篤実な人物であったらしく、その俳風は温雅である。
春の夜はたれか初瀬(はつせ)の堂籠(だうごもり)[ 執筆者:久富哲雄 ]

以前、芥川の芭蕉終焉記「枯野抄」に登場しないのはなぜかという質問がありましたが、彼は公務に従事中で終焉には間に合わなかったようです。

質問した人からのコメント

2010/1/28 18:16:55

成功 ありがとうございました!!参考にさせていただきます。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる