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日本古来の蛇神信仰とは、どのようなものですか?

補足

大変に奥が深そうで、驚きました。 蛇神信仰といえば、奈良の大神(巳の輪?)神社ですか。歴史が古そうですね。古代人にとって、水をもたらしてくれる神様でもあり、ネズミ退治等で、生活の役にも立っていたということでしょうか。 古代の中国やインド、東南アジアでも信仰の対象だったんですね。日本との関連がありそうな気がします。旧約聖書やキリスト教で逆というのは、意外でした。 いろいろとありがとう御座います。

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2010/2/12 16:14

蛇は、古い日本語では「カガ」といいました。 カガの目のようにカガやくことから、「カガ+メ」=「カガミ」 という言葉が生まれました。 また、お正月にかざる「お鏡」もカガのとぐろをまいた姿を 表したものとされています。 現在でも「ヤマカガシ」というナミヘビ科の蛇がいるように、 「カガ」という言葉は生き残っています。 さて。 蛇信仰といえば、先の回答者様もあげられているように、 大和三輪の大神(おおみわ)神社です。 ミワとは、三つの輪でもありますが、巳(み)の輪でもあります。 (尾をくわえた蛇=ウロボロスを連想させます。) ご祭神の大物主命は蛇体で、ご神体とされている三輪山は その秀麗な姿かから、とぐろをまいた蛇に見立てされています。 また、地元で「みーさん」と親しまれている三輪さんは、蛇だけに お酒の神様でもあります。(八俣大蛇も酒好きでしたね) ですので、お供えはカップ酒と卵を用います(今はどうかな?) 造り酒屋の軒下に杉玉が下がっている場合がありますが、あれは、 三輪のご神紋三本杉に由来しています。 また。 諏訪に坐ます建御名方神より古い信仰として、ミシャグジ神 も「石の神」とともに「蛇の神」の残滓が見られます。 またまた。 川と芸能の神、弁財天の神使としての白蛇信仰や、 頭部に宇賀神(人頭蛇身の神)を頂いた「宇賀弁財天」や、 さらに宇賀神と習合し、妙齢なる弁財天とは似つかない、 頭部が3匹の蛇となった弁財天すらあります。 さらに。 蛇は脱皮するので、再生のシンボルとされたり、 その脱皮した皮を財布に入れておくとお金が集まる、 などの民間信仰も見られます。

龍はミズチ、蛇はナーガと呼ばれて、アジア圏の各地にナカ(永・那賀・中)などの地名と苗字を残しています。 自然を大切にする信仰でしたが、基督教では異端として、サタンのレッテルを貼って火炙りにしました。 今は日本でも近代化の名のもとに機械文明とか農薬がゼニカネ主義の手段として使われて、龍も蛇も存在できなくなりました。 こうした欧米のキリスト教的物質主義と武力破壊の文明は、此れまで幾度も世界各地の緑の森を奪い尽くして砂漠化したのに対して、日本のナガは、火山を緑の山に変えて守って来ました。

先の方々が答えたように、水神さまとして崇められますが、他にもその特性が人の役に立っていたことも原因です。 米蔵を食い荒らすネズミをがんがん退治してくれる番人の役割です。大陸から猫が渡ってくるまで、蛇は最強のネズミハンターだったのです。

蛇の神様といえば、奈良県桜井市の大神神社。 この神社の祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。 【日本書紀】などによれば、大物主神が蛇の姿をしていたとする伝説があります。 王家の巫女である倭迹々日百襲姫(やまととひももそひめ)が、大物主神の妻になった。 神は毎晩、姫のもとを訪れたが、明るくなる前に三輪山に帰っていった。 ある夜に、姫が神に「あなたの姿を見せてください」と頼んだところ、神は「それならば姫の持つ小箱の中にとどまっていよう」と答えた。 夜が明けたので姫は小箱を開けると、そこには小さく美しい蛇がいた。 古代人は、水をつかさどる神は蛇の姿をしていると考えていました。 これは、竜を水神としてまつる中国南部の信仰からくるものでした。 古代人にとって蛇は神聖な生き物であり、なにかの折に蛇が角を生やして竜に変わって天に昇り、雷を起し、雨を降らせるとされました。 それゆえ、古代からまつられてきた蛇の姿をして水を操る土地の神の例は、日本の各地にあります。 インドの川の神様である弁財天は、日本に弁財天信仰が入ったのちに、水の恵みをつかさどり、蛇の姿をしていると考えられていました。 さらにそれが仏教の縁日と結びつき、蛇にちなむ十二支の巳の日に弁財天に参ると幸運を授かるといわれるようになりました。 農業が主要な産業だった江戸時代の人々は、作物を育てる水に恵まれることが財産づくりにつながると考えていました。 そのため水に支配する蛇神様が富をもたらすとされ、このような、蛇神様と金儲けとを結びつけた考えがひとり歩きしたことにより、鎌倉の銭洗弁天などの弁財天が商売繁昌の神としてまつられるようになりました。 大神神社:http://www.oomiwa.or.jp/

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