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《石高制について》 石高制は豊臣秀吉によって行われた太閤検地で確立された...

ind********さん

2010/4/2813:27:29

《石高制について》

石高制は豊臣秀吉によって行われた太閤検地で確立されたとのことですが、 当時の大名1万石の社会的地位や権威は今の社会に置き換えるとどのようなものなのでしょうか。

幕府統制の下、その地域の『長』と言う概念では理解出来るのですが、権力の内容であるとか、経済力であるとか、例として庶民から見た尺度的なものを教えて頂けると幸いです。

また、この石高の価値観(1石=○万円)は時代の流れによって流動していったのでしょうか?
関ケ原期の1石と、吉宗時代の1石、江戸最晩期の1石では評価価値は同じだったのでしょうか?

ヨロシクお願いします。m(__)m

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1万石ですと、足軽を含めた兵力動員数が「250人」ぐらいだったようです(平常時はもっと少ない)。今の社会で1万石の大名を喩えますと、中小企業の中では少し大きめな会社のオーナー社長=大名自身といったところでしょうか。1万石でも大名であるか、大名に属している陪臣かで立場が大きく違ってきます。大名自身ならば「社長」でしょうが、陪臣ならば大企業の重役クラスの場合もあったかと思われます。たとえば、県の経済同友会などに参加するのは通常は社長クラスです。大名ならば江戸時代の参勤交代や豊臣政権下でも秀吉と直接会って話しをすることもあったでしょう。陪臣の場合、陪臣としては大身の1万石を食んでいたとしても一部の例外を除いてそのような例はありませんでした。石高の価値は流通していた金銀の純度などによって変化したようです。そういう意味ではだんだんと江戸時代が進むと1石の価値も落ちていったと思われます。また、そのときどきの米のレートによっても変わったと思られます。また、1万石といっても実際にはそれだけの石高がなかったり、「認定*万石」という大名もいたようですから、実際の価値や立場は一概にはいえないですね。

質問した人からのコメント

2010/4/30 15:40:36

大変解りやすい説明ありがとうございました。m(__)m

これからも色々勉強していきたいと思いますので、何かの節にはまたご教授宜しくお願いします。m(__)m

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