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『徳川幕府崩壊の理由は』 黒船来航後、開国に向け幕府、諸藩、学識者等様々な意...

ilu********さん

2010/6/2611:19:34

『徳川幕府崩壊の理由は』
黒船来航後、開国に向け幕府、諸藩、学識者等様々な意見、思惑の中、 はたして何が一番の原因で徳川幕府は崩壊への道をたどってしまったのですか?
私が考えるに、幕府の決定に従わない者は、水戸黄門ではないが、葵の御紋で「頭が高い!控えおろぅ!!」で一蹴出来なかったのでしょうか?
どなたか簡単明瞭に教えて下さい。
よろしくお願い致します。

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tar********さん

2010/6/2718:07:39

黒船来航後、いきなり崩れたわけでもないんですけど。じわじわダメになってたわけで。

1。老中・阿部正弘が広く諸大名に意見を求めました。これでひたすら幕府を恐れていた諸大名が自分の意見をだしはじめました。
2。大老・井伊直弼は自分に反対するものをひたすら弾圧した挙句、暗殺され、政局が変わりました。
天下の諸民は幕府はもはや正論を聞く気もないこと、殺してしまえばなんとかなると気づきました。
3。それまで皇室に一切口出しさせていなかったのに開国の責任を押し付けようとして勅許を求めた挙句、拒否られました。
これで幕府より皇室の方が偉い、ということをみんなが思い出しました。

幕府の決定に従っていたら日本が滅ぶ。それを防ぐためには「控えおろう」なんて言ってくるやつは殺しちまっても構わない。そもそも天皇のほうが偉いんだから、俺達はそっちに従うぜ。とみんなが思うようになったら、幕府の権威なんて紙みたいなもんですよね。

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sng********さん

2010/6/2619:17:31

徳川幕府は、徳川家康が創りました。 そののち徳川家康が存命中に嫡男の徳川秀忠が将軍になりました。
のちに家康が死に、秀忠が死にました。 この二人が死んだ時点から崩壊に向かうんです。
なぜなら、この時点から、民ではなく徳川幕府を守るのに夢中になったからです。

もう、ペリーが来たときには幕府の結束はガッツリなくなっております。 幕府が徳川を守り出したのですから
各藩も自分たちの藩のみの事を考えるでしょ。 もう勝手し放題ですよ。

みなさんも思ってるでしょうが、淋しいですが潰れるべくして潰れたのです。

何せ200年以上の栄華を誇ったのですから、それはそれで凄い事です。

hag********さん

2010/6/2612:32:48

幕府というのはあくまで軍隊です。
徳川260年の間に民政の比重がどんどん大きくなり、にもかかわらず法令や制度は軍政のままだから現実とズレを生じざるをえませんでした。幕藩体制の至上課題は将軍を守ることだけです。民衆の生活や経済は二の次だったから、制度疲労を起こしていたのですよ。
武士階級でありながら反旗を翻した大塩平八郎の乱や、蛮社の獄はそんな幕藩体制の歪を物語っていますね
幕府は倒れるべくして倒れたのです。

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