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法然上人の和歌で、”月影の至らぬところはなけれどながむる人の心にぞすむ” という...

mur********さん

2010/9/2404:47:16

法然上人の和歌で、”月影の至らぬところはなけれどながむる人の心にぞすむ” というのがありますが、この歌の意味を教えてください。

私は、法然上人が浄土思想に深く関わっていたことから、この歌の解釈を、”阿弥陀仏のお光はあまねく衆生を照らしているが、その慈悲の光は念仏しようとする人にしか見えない”の意味と勝手に解釈していますが、これはうがちすぎでしょうか?

補足月影の至らぬところはなけれど も ながむる人の心にぞすむ
”も”が抜けていました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ede********さん

編集あり2010/9/2718:45:09

過去に同様の質問が有ります.
一説には『月影の至らぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ』,『月影の至らぬ場所はなけれどもながむる人の心にぞすむ』との記述も残されて居る様ですが,昔の事ですから,写本の際に,歌が異なって来る場合もあり得る事を御含み置き下さい.(『里』や『場所』の方が,五・七・五・七・七の律には合っては居ますが.歌の本質には関わりの無い事です.
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1036038880
が,『神様』ではなく『仏様』ですね.また,こちらを御覧下さい.
http://www.jodo.or.jp/radio/web_radio/wma_06_04_01.html
質問者様の御考えの通りの事が,仏教関係者の方の御話にも有った様ですね.
『眺める』とは,『長し』と語源を同じくするとの事で,『長い時間,一つの物を見る』という意味です.(古語大辞典,小学館)
御仏様の救いの手(月影)は普く伸べられているけれども,それをじっくり見つめる人にこそ,その御手が届く,という意味である,と解釈出来ます.つまり,質問者様の解釈なさいました通りでは無いかと.『月影の至らぬ○○はなけれども』に,大乗仏教の本質が詠まれて居ると思います.

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