訳)
歌の八病(はちへい)の中に『後悔病』という歌病(かへい)が有る.歌を早速に詠み終えて,人にも語り,書き送ったりもして,その後になってから,良い用語,趣向(筋立て)を考え付き,この様に表現しなくて残念だった等と思って,後悔して悔しがる事を言うのである.
そうであるから,やはり,和歌を詠もうとする時には,急いではならないのが良い態度である.今なお,昔から,即座に詠んだ事で良い結果は無い.それ故,紀貫之等は,歌一首を,十日も二十日もかけてこそ詠んだのだ.そうでは在るけれども,(歌を早速に詠むかどうか,という事は)場合に従い,事柄にも依るだろう.(以下に反対の例を述べる.)
大江山生野のさとの遠ければふみもまだみずあまの橋立
(金葉 雑上 五八六 小式部内侍)
これは小式部内侍といった人の歌である.この歌を詠んだ事情の発端は(次の通りである),小式部内侍は,(著名な歌人である)和泉式部の娘である.母親である和泉式部は,丹後守藤原保昌の妻で在り,(丁度,夫に伴い)丹後に下向していた間に,都にて歌合が催されたのだが,小式部内侍は,その歌人に選ばれ出詠歌を考えていたところ,四条中納言定頼という人は四条大納言公任の息子である.その人が,戯れて,(恋愛関係にあって親しい)小式部内侍が居たので,「丹後の国(の母上のもと)へ使者として行かせた人は,帰って参いりましたでしょうか.どんなにか心細く思っていらっしゃるでしょうね」と悔しがらせようと申しかけて,立ち去ろうとしたので,小式部内侍は御簾から半ば出て,中納言の直衣の袖を軽く引っ張り,この歌を詠みかけたので,中納言は,どうしてこんな事態になったのかと,そのまま居て,この歌に返歌をしようと,暫くは思ったけれども,(良い返歌を)思い付く事が出来なかったので,小式部内侍に引っ張られた袖を引き払って逃げてしまった.この事を思うと,素早い発想で歌を詠むのも立派な事である.
道信の中将が,山吹の花を持って,上の御局(みつぼね)という后の御部屋の前を通ったところ,女房達が大勢,部屋からはみ出して座っていて,「その様に美しい花を持ち,そのまま黙ってお通りになっても良いものでしょうか」と,話しかけてきたのので,元々,準備していたのであろう,
梔(くちなし)にちしほやらしほそめてけり
(口無しの様に私は物を言えないので,その証拠に梔で何重にも染めた山吹の花を持って居るのです)
と,歌の上の句だけを詠んで,その山吹の花を差し入れたところ,若い女房達は,(歌の下の句を付けられそうに無いので)それを取る事が出来なかったのを,部屋の奥に伊勢大輔が后様の近くに伺候していたのだが,「あれを取れ」と后様が仰せ付けられたので,伊勢大輔は承って,一間(柱と柱の間一つの事)位の間を膝付いたまま出て行くうちに考えついて,
こはえもいはぬ花のいろかな
(これは何とも言えぬ美しい花の色ですこと)
と,見事にも(歌の下の句を)つけたのであった.(『口なし』に『言はぬ』が呼応している.)この事を,帝が御聞きになり,「もし,(その場に)伊勢大輔が居なかったならば,(后にとり)気恥ずかしいかった事であろうよ」とまで,仰られた.これらの事を思うと素早い発想で歌を詠むのも素晴らしい事である.素早い発想で歌を詠める人は,かえって,長々と考えていると,悪く詠まれる事になる.ゆっくりと案を練って詠み出す人は,即座に詠もうとしても思い通りにはならない.ただ,その人の天性の心の働きに応じて,歌を読み出すべきだろう.
以上,訳完了です.
参考文献:歌論集,日本古典文学大系