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歴史上の恐妻家を教えてください。

pik********さん

2010/10/918:39:25

歴史上の恐妻家を教えてください。

平安時代から江戸時代あたりまでの人物だと嬉しいです。
できれば、それに関するエピソードなども教えてほしいです。

よろしくお願いします。

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回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答

jas********さん

編集あり2010/10/921:39:34

源頼朝

政子との結婚後も頼朝の浮気癖はおさまらず、政子が妊娠して産所に居を移すと、愛人である亀の前(かめのまえ)を鎌倉に呼び寄せ、御家人・伏見広綱の屋敷に住まわせますが、これが政子にバレてしまい、激怒した政子は「後妻討ち」(うわなりうち、夫を後妻に取られた前妻が従者を引き連れ、後妻の家へ押し掛け暴れるもの)として牧宗親に命じて広綱の屋敷を破壊してしまいます。広綱は亀の前を連れて命からがら逃げ出しました。
頼朝は宗親を罰するものの、政子の父・時政がこの処置に怒り(宗親は時政の後妻・牧の方の義父)、伊豆へ引き上げてしまいますが、頼朝は政子を恐れる亀の前を再び呼び寄せ寵愛。政子は広綱を配流にしてしまうなど、夫婦喧嘩を超えて大騒動に発展しました。

また頼朝が大進局に子供を産ませた事を知って政子は激怒し、母子もろとも鎌倉から追放処分とし、大進局を匿った御家人を隠居に追い込むなどしています。

福島正則

正則は台所で隠れて酒を飲んでいたところを妻(継室・昌泉院)に見つかり大喧嘩になり、妻が薙刀を振り回して正則を追いかけ、正則は城外まで逃げ出したとか、正則が妾の所へ行っていたのがバレてしまったため、帰宅した正則は妻に薙刀で斬りつけられてしまいます。正則は妻に謝りながら表玄関まで逃げ出し難を逃れたといい、後日「女の嫉妬ほど怖いものはない」と語ったといわれます。

大友宗麟

宗麟は家臣の妻を奪って寵愛していたため(一万田親実の妻、服部右京亮の妻)、この仕打ちに怒った妻・イザベル(大宮司・奈多鑑基の娘・奈多夫人。キリスト教を徹底的に嫌っていたため、宣教師はイスラエルの予言者を迫害したとされる王妃の名であるイザベルと呼んだ)は、僧や山伏を集めて宗麟を呪い殺そうと祈祷させるという復讐を行い、それによって宗麟は一時精神に異常をきたし姿を消してしまい、城下町のはずれでしゃがみこんでいるのを発見され、家臣が大友館へ連れ戻そうとするのを嫌がり、臼杵の丹生島城へ引きこもったといわれます。

質問した人からのコメント

2010/10/14 13:29:32

感謝 沢山のご回答ありがとうございます!一番詳しく書いてくださった方をベストアンサーに選ばせていただきました。

ベストアンサー以外の回答

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urt********さん

2010/10/921:23:41

足利義政ですかね。正室の日野富子に頭が上がらず、後継と決めた弟の義視に対抗して実子の義尚を後に継がせようと応仁の乱の原因となりました。

xxx********さん

2010/10/920:59:34

福島正則なんてどう?

戦場では一騎当千の勇猛な将として有名ですが、女性関係のコトが奥方(昌泉院)にバレて、怒った奥方に薙刀斬りつけられてほうほうのていで逃げだしたという逸話があります。

dan********さん

2010/10/920:00:58

来年の大河ドラマの主役、お江。二代将軍徳川秀忠の正室。織田信長の姪にあたり、3回目の結婚で(秀忠は初婚)姉さん女房。秀忠が他に女性がいると聞けば放火を画策したり…。秀忠と別の女性との間に男子(保科正之)が誕生しますが、その子は他家の養子にしました。ドラマでは大概、悪役です。大河ドラマ「葵 徳川三代」で岩下志麻が演じていましたが、織田家の血を引くプライドの高さや恐妻ぶりがよくうかがえました。ちなみに秀忠は西田敏行でした。

kei********さん

2010/10/919:44:54

桂小五郎。奥さんの幾松は、かなりのヒステリーの持ち主で、怒りだしたら止まらない。その時は、庭の片隅で小五郎はじっとしていたそうな。また、奥さんが浮気をしても我慢していたらしい。

kir********さん

編集あり2010/10/919:26:33

第62代・村上天皇(在位946~967年)と皇后・藤原安子の仲が有名です。
「大鏡」は、「帝はこの后を大変恐れており、道理の通らないようなことでも、断ることはできませんでした」と述べた後で、次のようなエピソードを伝えています。
天皇は藤原芳子を新しく女御としますが、大変な美人との評判に穏やかでない安子が物陰から覗いてみると、果たして噂どおりの超美女ぶりに、「くやしい」とばかり小皿を投げつければ、見事命中。これには日ごろ温厚な天皇も激怒し、「伊尹、兼通、兼家(安子の兄弟)らが仕組んだことに違いない」とこの3人の処分を命じます。ところが、今度は安子が激怒。天皇を自室に呼び出すと、「この3人は、どんな大罪を犯そうと許さなければいけない人なのです」と自分がやったことを棚に上げて激しく抗議。やむなく天皇はその場に書記官を呼んで赦免の宣司を発行させました。
語り手・大宅世継は、「これだけではありません。こんな話がどれほど沢山あったことでしょうか」と結んでいます。

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