ペリーの頃、鯨油取りを目的としたアメリカの捕鯨は、肉はどうしたのですか?塩漬けにしたのですか、捨てたのですか?当時はもう牛育が非常に盛んで鯨肉なんてあまり要らなかったと思いますが?

ペリーの頃、鯨油取りを目的としたアメリカの捕鯨は、肉はどうしたのですか?塩漬けにしたのですか、捨てたのですか?当時はもう牛育が非常に盛んで鯨肉なんてあまり要らなかったと思いますが?

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基本的にアメリカの捕鯨は油だけが目的でした。 1800年頃には捕鯨船の多くは300トンクラスで一回の航海は2~4年かかったと言うことですから(小松正之著『クジラその歴史と科学』より)、当然生もの肉などは持って帰ることは出来るはずもありませんでしたし、燻製などにしたとしてもその分油が船に詰めなくなって経済効率が落ちることになります。 基本的に欧米人は自然は単に人間が征服すべき対象としか考えませんので、体重の一割しかない油を採った後、肉を捨てても命が無駄になるという考え方は無かったようです。 アメリカには開拓時代に産業らしい産業はなかったので、アメリカ東岸近海に大量にいたマッコウクジラを獲って油を売ることが重要な産業の一つとなりました。 獲り過ぎて近くの海にクジラがいなくなるともっと遠くに行き、それでもいなくなるとさらに遠くの海まで行って、とうとう江戸時代の鎖国の日本にたどり着きました。 アメリカが日本との国交を欲したのも、日本近海のジャパングラウンドという海域にマッコウクジラの大群が発見されため、日本本土に捕鯨船のための母港が必要だったためでした。 それだけ当時のアメリカにとってはクジラの油は重要な外貨獲得手段で、その外貨は近代産業勃興の起爆剤ともなりました。 最盛期にはアメリカには700隻もの捕鯨船があったということです。(小松正之著同書) クジラもこれだけ獲りまくったら減るわけです。 日本は明治時代にノルウェー式捕鯨を取り入れ、日本沿岸と朝鮮海域を中心にしていましたが、南氷洋に乗り出すには資金が足りませんでした。 しかし1934年政府・海軍の協力により、日本ははじめて南極海に乗り出すようになります。 これはクジラの油のグリセリンがニトログリセンの材料として特に第一次大戦以降重要な戦略物資として脚光を浴びていたからです。 もう一つは当時日本が保護国化していた満洲の近代化のために、多額の外貨の獲得が必要になったからです。このとき日本水産の最大株主はなんと南満洲鉄道(満鉄)でした。 ただし37年頃になるとやはり肉を捨てるのはもったいないと徐々に持ち帰るようになり、39年には冷凍船も導入され始めますが、大東亜戦争のため1940年を最後に戦後まで一旦南氷洋捕鯨は中止されます。 日本が捕鯨で肉を捨てたのはこの数年の南氷洋捕鯨のみで、「これが初めてあり、また最後であった」そうです。 日本人の欧米捕鯨批判への反論として、グリーンピースなどが日本のこの時期をしばしば強調しますが、これが史実です。 (森田勝昭著『鯨と捕鯨の文化史』p347~) 参考までに各国のシロナガスクジラの捕獲数の合計を上げておきます。 ノルウェー16万7105頭 イギリス11万568頭 日本2万3491頭 ソ連3994頭 rozamistikaさん 『鯨は国を助く』は読んでくれたかな。 >矛盾していますね、まあマッコウクジラ肉を捨てて、問題になったのは昔のことなので、「なかったこと」にでもしちゃったのかな。 その頃、日本はソ連がミサイル製造に必要な油をだ目的でとったクジラの肉を引き取ってていたぐらいですから基本的に捨てるようなことはないと思いますが… (不心得者はいたかもしれません) それと自動車部品とか日本がとった油で作った製品を買っていたのは欧米でしたね^^ >下痢してまで食いたいものではない ↓同じハクジラのイルカは西洋人にも好まれていたみたい。 メアリー・ローレンスの日記によると、捕鯨船アディソン号は1856年11月25日ニューベッドフォード出帆から翌年4月17日ラハイナ到着までの約五ヶ月間に、都合六回イルカ捕獲を行ない、12月18日にはイルカの皮から油を絞り、肉はフライとソーセージにしたが、彼女によればこのソーセージは「豚肉ソーセージのように美味い」ものだった。2月6日にも二頭を捕獲し、このときは船には「新鮮な肉がたっぷり」と記している。彼女の船では船室用の油と生鮮食品として、イルカを捕獲することは習慣化しており、メアリーもそれを楽しみにしていたのである。メルヴィルもイルカ肉が食用とされ、美味と考えられていたことを書き留めている(同書P396) 今でもインドネシアの一部地域はマッコウクジラを喜んで食べてるよ。 それとこぼれ話をひとつ。 イギリスからオーストラリアに送られた囚人たちは、半分ぐらいは捕鯨船の鯨油倉に積み込まれて運ばれて、船は囚人をおろした後は近海でクジラを獲って油を一杯に積んで本国に帰ったとさ。 (同書p74)

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>アメリカ人は鯨肉には毒があって食べられないと信じていたのです。 これはある意味実話です。 基本的に機械油として優秀なマッコウクジラが求められてたのだけど、マッコウクジラはそのまま食べると下痢になる。 >ジョン万次郎が無人島で食べ物が無くて困っている時にアメリカの捕鯨船が捨てた鯨の大きな肉片が島に漂着して皆大喜びで食べたという記録があります。 まあ、食料がなければ何でもいいとなるのでしょう、下痢ぐらいたいした事はありません。 そう、アメリカ式捕鯨で捕られていたのは、食料としては不向きなマッコウクジラでした。 下痢してまで食いたいものではない、日本でも元々肥料にして、余ったら捨ててたマッコウクジラでしたからね(ただし、海洋汚染でクレームがついたので仕方なく食べる方法を強引に開発したらしい)。 機械油として優秀なワックス分が下痢の原因です。 そういうわけで、お肉はポイポーイと捨ててました。 実際、数年間の航海だったので、冷蔵保存も不可能で、油だけを溜めて帰っていたのです。 ・・・ただ、やはり食べるものもないのでじつは鯨肉を一部塩漬けにして船上で食べていた、という記録もあります。 追伸 >日本が捕鯨で肉を捨てたのはこの数年の南氷洋捕鯨のみで、「これが初めてあり、また最後であった」そうです。 矛盾していますね、まあマッコウクジラ肉を捨てて、問題になったのは昔のことなので、「なかったこと」にでもしちゃったのかな。 あと、ツチクジラも元々は食用にしておらず、肥料とか養殖ミンクのえさとして活用されており「ミンクにツチやれ」という言葉もあったようです。

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当時の保存技術では腐らせず持ち帰るには多大なコストが掛かり採算に合わないので、乗員が船上で食べる分以外はさっさと捨てていました。 何十トンもの肉塊なんて塩漬けにするにも一苦労ですからね。 ちなみに日本でも戦前の遠洋捕鯨では肉を持ち帰る手段が無かったので油だけ採って肉は捨てていました。 肉を食べ骨やヒゲまで利用していたのは新鮮なまま持ち帰れる沿岸捕鯨だけですが、19世紀には乱獲によってかなり数を減少させてしまっていたようです。 当時の日本も欧米と同じく頭数調整だの資源保護だの全然考えちゃいなかったのが実態なんですよ。 遠洋捕鯨でも肉を持ち帰るようになったのは戦後の食糧難の時代からですが、やはり保存技術の問題で味が悪くその時代を知る人に鯨肉の味を聞いてもあまり良い話は出てこなかったりします。

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石油が出回る前、大量に油を確保する手段として確立したのが捕鯨なんですよ。 肉の利用は最初から考慮されていませんでしたし、そもそも鮮度を保ったままで持ち帰る方法がなく、塩漬けにしてまでどうにかするほど価値のあるものだとはみなされていませんでした。 そんな手間とスペースがあるのなら、積載量いっぱいいっぱいまで鯨油を積んで帰ったほうがお金になりますからね。

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ノルウェーなど一部の北欧以外は鯨はかつて工業資源という認識であり食料ではなかったので油を抽出した後はすべて廃棄されていたそうです。 太平洋で鯨が激減したのはアメリカによる食料以外の目的での乱獲が最大の原因であり大西洋でも状況は同じです。 むしろ日本は昔から少ない鯨とかは知っていたので調節しながら捕鯨していたはずです。 よく「IWCが鯨を捕らない反捕鯨国に牛耳られていて」と日本が故意に宣伝してるみたいな事を言う人も居ますが事はそう簡単なことではなくそもそも鯨を絶滅寸前にまで追い込んだ人たちが文化として鯨を縄文時代から捕っていた日本人に鯨が減った責任を全て押し付けるような論法で批判してるのが捕鯨問題の真の姿であり其処には「自然保護」などというようなものはなくお題目として政治利用してる実態が在るだけです。

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アメリカ捕鯨は鯨油だけが目的です。肉は捨てていました。アメリカ人は鯨肉には毒があって食べられないと信じていたのです。ジョン万次郎が無人島で食べ物が無くて困っている時にアメリカの捕鯨船が捨てた鯨の大きな肉片が島に漂着して皆大喜びで食べたという記録があります。

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