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マスコミにバッシングされている人が 本当に悪人なのか疑問に思ったことはありませんか? 社会にとっては害だが自分にとっては害でない人 自分にとっては害だが社会にとっては害でない人

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答者さまがた、ありがとうございました。 私は「社会」にとっては害でないが自分にとって害の方が嫌です。 この場合の「社会」って何だろうとおもったのです。

お礼日時:2010/11/4 13:30

その他の回答(4件)

マスコミが、悪人を立証するには、まず、マスコミ自体が、悪人を立証するに足る資質を備えていることを示さないといけません。 しかし、現在のマスコミが、中立的立場であるというのは、いかにも世間知らずの愚か者の意見とみなすことができるので、マスコミがバッシングするというのは、マスコミにとって都合の悪い存在である、ということだけは妥当であるでしょう。 従って、マスコミの立場を社会的に明確にしなければなりませんし、マスコミがそれを怠っているのなら、マスコミ自体が、社会にとって有害な存在かもしれません。 一般的に、「社会」にとって害なのが、なにより悪人という定義に当てはまるでしょう。「自分」は社会の構成員であり、一部なのです。「自分」⊆「社会」であり、「自分」≠「社会」です。「自分」も社会的に悪人なら、悪人同士で利害が一致しますが、社会には有害です。 例えば、一部の団体が不当に利益をあげることは、社会全体としては、害になります。これは、生体のなかで、癌が生じるのと同じです。

公平な報道を謳っていても所詮民間企業。株主、スポンサー、各種圧力団体、経営者の性格など、様々なバイアス(偏向)が掛かった情報であることを知っているべきだと思います。マスコミの報道は参考程度にして、ネットを含む各種情報ツールから一次情報に近いソースを自分自身であたり、多面的に検証することで本当の真実に肉薄する努力をすべきだと思います。それでも真実が見えないことは山ほどありますが、マスコミ情報を鵜呑みにする洗脳されきった奴隷になるよりはましだと思います。

大学で日本国憲法の授業を受けてから、 疑問に思うようになりました。 質問への回答ですが、これは人それぞれではないかと思います。 個人的には、自分にとっては害だが社会にとって害でない人の方が嫌です。 外面だけが良い人間は信用できません。 社会にとっては害だが自分にとっては利益のある人も嫌です。 そんな人間から利益を得ることに、メリットがないからです。

マスコミの評価が正しく感じられない。ということでいいですかね。 そもそも、正しい評価とはなんなのでしょうね。 存在しないのかもしれません。 この段階ではてしない問いですな。 評価とは、 個やコミュニティが、ものや事象に下すものです。 判断はどう行われるのか、どうしたって、その個(コミュニティ)の考えが反映されます。 その個(コミュニティ)の「考え」が反映された評価。 「考え」は「学習(経験)」から生まれます。 「学習(経験)」は、その個(コミュニティ)の過去であり。 「過去」に基づき「評価する」ということは、評価はその個(コミュニティ)の中に向かうもの、ということです。 中に向かわざるおえない以上、その外のものは、、、ねえ。 今回の場合はマスコミですね。 (「マスコミ」と一括りにするのもどうかと思うところもあるのですが、、、) 上述したように、「マスコミ」というコミュニティのフィルターを通して判断したものが、放送(印刷)されているのみです。 「正しい」「間違ってる」等の議論を行うに値しないものだと思いませんか? 個のフィルターであれば、自分の感覚との差は感じられるし、論じて意味が生まれるかもしれません。 コミュニティのフィルターになってしまうと、間に入るものが多すぎます。 「最終的に放送(印刷)されたものは、誰の意志が反映されたものなのか」 おそらく、発信している側にも理解できていないのではないでしょうか。 マスコミの価値は、「こういう考えの人がいる」と発信するのが限界値なのだと思います。 とどのつまり、マスコミとはいえ結局は他人の意見。 マスコミの発信を直接「善」「悪」で受け取ろうとするのは、受け手側の怠慢なのではないでしょうか。