マスコミにバッシングされている人が 本当に悪人なのか疑問に思ったことはありませんか? 社会にとっては害だが自分にとっては害でない人 自分にとっては害だが社会にとっては害でない人
マスコミにバッシングされている人が 本当に悪人なのか疑問に思ったことはありませんか? 社会にとっては害だが自分にとっては害でない人 自分にとっては害だが社会にとっては害でない人 どちらの人間がより悪人なのでしょうか? 社会にとっては害だが自分にとっては利益のある人ならどうでしょうか?
哲学、倫理・729閲覧・100
ベストアンサー
疑問以前にマスコミにバッシングされているから悪人だとは考えない人の方が多いんじゃないでしょうか。今どきのマスコミを見れば、その判断能力に疑問を抱かざるを得ないという人は多いと思います。 害に関しては仰る通り、誰を基準として判断するかによって評価が異なってくるのは当然だろうと思います。どんな罪人でも親は庇うし、味方もするでしょう。誰にとって害なのかを常に正しく把握しておくことがもっとも重要なのだろうと思います。つまり、マスコミにとって害ならマスコミにバッシングされる、という基準の把握ですね。マスコミのスタンスに賛成できるのならバッシングされる人は悪だと信じても自分の基準と一致もしますが、マスコミのスタンスに疑問があるのなら、バッシングされる人は善かもしれない、という判断も可能ということです。 基準値のない、絶対的な悪人というもの自体が幻想ともいえるかもしれません。絶対的な悪と呼ばれるものも、極論すれば、人間にとって絶対的な悪であるに過ぎないともいえます。殺人鬼もウィルスから見れば、自らを増殖させるための宿主に過ぎないともいえてしまうわけですからね。 仰る通り、社会にとっては害だが自分にとって利益のある人は当然、存在します。その人物を自分にとって利益があるから悪人じゃないと庇うか、社会にとって害だから悪人だとみなすかは、主観に委ねられているんじゃないかと思います。罪人でも庇う親もいれば、悪いことをしたのだから償うべきだと突き放す親もいるように、害や利益自体が善悪を規定するわけではなく、何に従って悪と認定するかは、個人の主体に任せられているということになるでしょう。
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質問者からのお礼コメント
回答者さまがた、ありがとうございました。 私は「社会」にとっては害でないが自分にとって害の方が嫌です。 この場合の「社会」って何だろうとおもったのです。
お礼日時:2010/11/4 13:30