「津波」は、なぜ英語でも"tsunami"なのですか?
「津波」は、なぜ英語でも"tsunami"なのですか? 「津波」を和英辞典で調べたら、"a tsunami"と書かれていました。「寿司」が"sushi"や「布団」が"futon"と そのまま訳されるのは分かるのですが、なぜ「津波」もそのまま"tsunami"なのですか?分かりやすい説明を お願いします。
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津波そのものは大昔からあるのですが、ヨーロッパには比較的少ないため、ヨーロッパ諸語には津波を一言で表現する言葉がなく、世界共通の学術語(ラジオ、テレビ、インターネット、エネルギー、システムなどのような単語)として津波を表現する単語がありませんでした。また、今日のように津波が世界ニュースになるほども通信手段もマスコミも発達していない時代には、どこかで大津波があっても、それが世界ニュースになることもありませんでした。 19世紀後半に世界を結ぶ郵便制度や定期航路ができ、世界が一つになり、世界各地で新聞が刊行され、さらに電信が発明されて、世界ニュースというものが生まれます。 その初期に世界に衝撃を与えた大ニュースが、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒に日本で起きた明治三陸地震です。そのとき巨大津波が三陸地方を襲いました。Wikiを引用すると、 --- 大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時2分に襲った。記録によれば、津波に襲われたのは北海道から宮城県にわたる広い範囲。北海道の襟裳岬では4m、青森県八戸で3m、宮城県女川町で3.1mという記録が残っている。 だが一番大きな津波が襲ったのは、岩手県の三陸沿岸であった。最大波高は、釜石で8.2m、田老(現・宮古市)で14.6m、船越(現・山田町)で10.5m、重茂(現・宮古市)で18.9m、吉浜(現・大船渡市)で22.4m、綾里(同)で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録している。 特に綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本の本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録した。 --- 38mの大津波とありますが、吉村昭の実録小説『三陸海岸大津波』(文春文庫)によると、伝承では、入り江の奥の記録のないところでは50mを超えるところがあったそうです。明治三陸大津波の死者は2万1915名、吉村昭のこの小説は、明治三陸大津波と1932年の昭和三陸大津波(死者者行方不明者3000人)と1960年の三陸チリ大地震津波(死者142名)まで、三陸地方の津波被害の証言を集めてまとめたものです。昭和大津波のとき、三陸地方では明治大津波の生き残りの古老が、「よだがくる、海が引いたら逃げろ」といって、津波を「よだ」と呼んで、忘れたころにくる災害に対し人々を戒めていたにもかかわらず、津波死者を3度も出した三陸地方の教訓の物語です。私も読みましたが面白かったです。 さて、このとき日本語の「つなみ」という言葉とともにニュースが写真入りで世界に報じられ、世界ニュースになりました。そのインパクトがすごくて、世界の人は Tsunami という恐ろしい現象があるんだと知り、その後、同じ災害が起きるごとに Tsunami と呼ぶようになり、やがて世界共通の用語になったのです。
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質問者からのお礼コメント
そういう歴史があったんですね。よくわかりました。ありがとうございました。
お礼日時:2010/11/7 11:13