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ファイティング原田は、いつからいつまで、活躍したのですか?

aho********さん

2011/1/2804:38:57

ファイティング原田は、いつからいつまで、活躍したのですか?

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

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回答数:
2

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ベストアンサーに選ばれた回答

jil********さん

2011/1/2805:47:28

現役選手としては、1960年のプロデビュー戦から1970年にジョニー・ファメションに破れるまで世界フライ、バンタムの2階級を制覇(露骨な地元判定に泣いたフェザーも含めれば実質的には3階級制覇と言われている。)する大活躍をしました。

また、現役引退後も解説者として、ファイティング原田ボクシングジム会長として活躍され、日本プロボクシング協会会長も勤められました。

現在も協会の顧問としと活躍されています。

質問した人からのコメント

2011/2/3 08:51:33

降参 ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

bec********さん

2011/1/2805:40:34

中学生の時からボクシングを始め1962年、19歳とう
若さで、ポーン・キングピッチというタイのチャンピオン
に挑戦してベルトを手にしました。

しかし3ヵ月後の再戦では(タイでの試合)負け。
減量苦からバンタム級にウエイトを上げて1963年
ジョー・メデル(メキシコ)に挑戦するも、KO負けしました。

その後もバンタムにとどまり、ジョー・メデルにも勝った
エデル・ジョフレへの挑戦が決まりました。
ジョフレは原田を挑戦者に迎えるまで黄金のバンタムにありながら
8連続KO防衛中で原田に勝機なしとまで言われるくらい
強いチャンピオンでした。
試合が始まり一進一退の試合展開で判定まで行き
2-1のスプリットデシジョンで原田はジョフレに勝利しました。
再戦でも判定勝ちし、ジョフレを返り討ちにしました。

そして、またも減量に苦しんだ原田はフェザー級にウエイト上げて
1969年、オーストラリアでチャンピオン、ジョニー・ファメションに挑戦
勝てば3階級制覇の掛かった試合でした。原田は2R、11R、14Rと
3度のダウンを奪いました。
14Rに奪ったダウンは強烈で、このダウンで王者のファメションは
半ば失神状態に陥っていて誰の目からも10カウント以内に
立ち上がれそうにないことは明白でしたが、この試合のレフェリーを務めていた
元世界フェザー級王者のウィリー・ペップは(ヘップはボクシング界では
知らない人が居ないくらい有名な選手でした)あろうことかカウントを途中で
放棄すると失神していたファメションを無理やり立たせ試合再開を
促したのだった。続く15Rを王者は必死の防戦で逃げ切り勝敗は
判定にもつれ込まれた。それでも3度のダウンを奪った原田の勝利は
揺るぎないものと思われたが、ここでもレフェリーを務めたペップは
判定の結果が出る前に両者の腕を上げた。つまり、「引き分け」で
王者の防衛ということだった。この結果に、地元でありながら王者と
ペップにはブーイングの嵐が起こる。逆に判定に不服を申し立てることも無く、
潔く健闘を称えあった原田には惜しみないスタンディング・オベーション
が贈られるという始末だった。
1970年、日本で再戦が行なわれましたが14ラウンド原田のKO負けと
いう結果になりました。この試合を最後に25歳という若さで引退しました。

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