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桂小五郎が木戸貫治に改名した経緯は何ですか。 吉村昭の「生麦事件」(下巻)...

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ID非公開さん

2005/8/3014:32:18

桂小五郎が木戸貫治に改名した経緯は何ですか。

吉村昭の「生麦事件」(下巻)には「桂小五郎はその年の9月29日に藩主から木戸姓をさずけられ、改名した」とだけサラリと書かれてありますが・・・。

どういう背景があって、藩主は桂に姓を授けたのですか?

どうして「木戸」という姓なのですか?

その際、下の名前の「貫治」も藩主が与えたものなのですか?

こちらのほうは自分で選んだのですか?

後世のわれわれからみれば、「桂小五郎」のほうがずっとカッコよく聞こえますが・・・。

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ID非公開さん

2005/8/3020:24:44

桂小五郎は第一次長州征伐の後、長州の尊皇攘夷派のリーダーであるために幕府から指名手配されました。しばらくは長州も幕府に恭順して佐幕に傾きますが、高杉晋作らのクーデターで尊攘派が藩の実権を握ると、出石に潜伏していた桂小五郎は帰藩し家老に任命されます。しかし、長州藩としても家老が幕府の指名手配犯では問題がありますので、藩命で木戸姓に改姓しました。村田蔵六も同じ理由で大村姓を名乗りました。あくまで桂小五郎も村田蔵六も公式には行方不明の扱いでした。

貫治は通称ですので小五郎が勝手に名乗っていたのでしょう(小五郎も通称です)。孝允は桂家を相続したときからの諱で明治になって諱を使用しなくなったため木戸孝允と名乗るようになったようです。

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ID非公開さん

編集あり2005/8/3015:17:33

明治以前の人の名は、結構いい加減で、本名・通称(本名と通称の二つありました)とも生涯の間にいくつも変わるのが普通のことで、通称がいくつもあるということもありました。
木戸姓が与えられた経緯はわかりませんが、藩主が家臣に姓を与える(この場合正確には名字)のは特別珍しいことではありません。
木戸氏というのは、関東公方に仕えた由緒ある姓なので、何らかの章典だったのかもしれません。

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ID非公開さん

編集あり2005/8/3015:00:48

幕末当時は桂小五郎と云い、明治に入ってから木戸孝允と改名しました。
その間、彼の名前はいろいろとあり、すべて幕府の捕手や新撰組等から逃れるためです。
桂小五郎と西郷隆盛の間を坂本竜馬が取り持ち、薩長連合が出来たのは有名ですね。
「桂小五郎」のほうがカッコよく聞こえるのはこのためもあるでしょう。
木戸姓に改名された経緯は分かりませんが・・・・・・・・・

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