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天才の定義とは?

oni********さん

2011/4/205:35:42

天才の定義とは?

ふと思ったのですが天才の定義とはなんなんでしょうか?
さっき夜中にやっていた映画「アキレスと亀」意味がよくわかりませんでした。
といっても最後まで観てしまったのですが・・・。
私は何事も観たものや感じだものに意味を考えてしまいます。
北野監督が天才と呼ばれていて私も映画「座頭市 」「血と骨」を観ました。
座頭市はアクション映画?目がみえない坊さんのあの強さと爽快感が
映画のみどころなのかなと思うと難しい映画とは思いませんでした。
ただ血と骨はまったく理解できませんでした。何を伝えたかったのか。
他にもダウンタウンのまっちゃんも天才と呼ばれていてだした映画が
普通の人には理解できない?みたいな事も言われていたり
周りがおいついてない?など
他にも天才と呼ばれる人が世の中にはたくさんいると思います。
ミュージシャン 芸術家 などなど
しかし何をもって天才と呼べるのでしょうか?
私のような凡才に理解ができない
天才の考えは凡才にはわからないと言うのであれば
天才の価値がわかる人が世の中にたくさんいてその人達も天才
と呼べるのではないでしょうか?
寝てないので文章がおかしくなっていますが 笑
例えば数値であらわせることがすべてできればわかりやすいと思います。
イチローが天才と言われてもそれだけの成績を残してるので
たいていの人にもわかると思います。
ですが感性が重要なジャンルでは数値化ができないのでそれがイマイチ
わからない部分もあります。
ファッションなどでセンスがいいテレビなどでコーディネートを
してる人の服装なども奇抜で変じゃないと思われるのもあるし。またそういった事では
個人の好みもでてくるので難しいですよね。その人に才能があるのか天才なのか?
天才の定義とはなんだと思いますか?

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kum********さん

2011/4/220:41:58

天才というのは、「運命に選ばれた人」です。

努力では天才のまねはできません。

何故ならば、人がその才能を生かしているのではなく、天がその人を動かしているからです。

天才には職業選択の自由がありません。その才能に縛られ、仕事を強制的にさせられることになるからです。

天才の人生が苦悩の連続であるということは決して珍しくありません。


自分の意志ではどうにもならない巨大な運命に翻弄されるのが天才の姿です。

その運命を受け入れてその天才を全うした人もいるし、受け止めきれずに破滅した人もいます。


能力があるから天才なのではなく、運命(天)に選ばれたから天才なのです。

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ベストアンサー以外の回答

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mam********さん

2011/4/802:46:09

数値化することを求めましたね。
それが、凡才です。
数字は確かなものではないことに気づけば、天才に近づけます。

sok********さん

編集あり2011/4/506:28:10

『アキレスと亀』は、DVD買って、観ましたよ(^^)

皆さんご存知かと思いますが、歴史を紐解いてみても、正式には、天才の定義とは未だ為されていませんよね?
それこそ、天才の定義を発見した人こそが、真の天才ではないかと考えたくなるくらいです(^^)
ただ、アイヒバウムの『天才』などを読むと、一貫して言えるのは、彼等が異常なエゴイストだったことくらいです。
ジョニーデップの『リバティーン』にしろ、『太陽と月に背いて』のランボーやヴェルレーヌにしろ、『アマデウス』で題材にされたモーツァルトにしろ、天才というのは、とんでもない位に非常識なエゴイストだったという点は変わりがないみたいです。
だからこそ、周りにいる人間は、その天才の才能が未だ天才であると認められていない場合においても(あるいは、開花していない場合においても)、天才の気性や行動に関しては並々ならぬ恐怖心を抱くのだと思います(^^)
エジソンの「99パーセントの努力、1パーセントの閃き」にしろ、その「99パーセントの努力」とは、自分一人の都合の為に、周りの環境すらも無理に捻じ伏せてしまうほどの荒々しいエゴイズムでなければ、その努力とは、「99パーセントの努力」とは言われないのですよ。
天才は、周囲の環境を捻じ伏せてでも、その「99パーセントの努力」を断行してしまうから、結果として、天才になるのです。

『アキレスと亀』に関してですが、主人公の真知寿は、明らかに没後になってから認知される天才なのですよ。
というのは、成人したばかりの主人公が、キュレーターに初めて見せたフィレンツェ(?)の港の風景画は、「温泉宿に掛かっている絵と変わらない」などと散々、扱き下ろされましたね。
しかし、後に、彼が中年になって、自分の娘からお金を借りようとするシーンで、偶々、その絵は、彼が座っている席の高級レストランの額の中に収まっているのですよ(^^)
それだけでなく、真知寿は、キュレーターの指図に従って、果敢に現代アートに挑戦し続けました(実際は、あのメガネ野郎に作品ごと、ぼったくられているわけですが)。
現代アートというのは、新しいコメント(理論、説明)を求める分野なんです。一見すると訳の分からない作品を媒介にして、今までになかった新しい物の見方を提示すること。現代アートにはそういうものが求められていて、映画の中で、中年になってからの真知寿は、一生懸命コレに挑んでいるわけですね。だから、彼の名前と作品は没後になってから再評価されるというのが、あの映画に隠された、もう一つの伏線であり、趣旨であると思います。
ただし、北野武監督本人は「芸術なんかなくたって、人間は生きていける」という考えの持ち主ですから、最後のシーンで、焼け残った空き缶を20万円(だったかな?)の値でフリマに売り出した時、先妻が彼の元へ戻って来た時点で、その空き缶をポーンと河へ放り投げてしまいます。その時、天才・真知寿というアキレスは、凡人という亀、つまり、本当の愛を知る亀に追い付いた(追い付けた)というのが、あの映画の一大テーマだったように思われます(^^)

さて、質問者様が求めていらっしゃる回答は、数値化できないアートなどの分野で、天才を測る基準とは一体何か、というものでしたよね?(違っていたら、申し訳ありません)
それは、コメントのセンスなんです。コメントとは、偏に、歴史に対する本人の回答です(^^)
それまでのアートや文化の歴史を振り返り、どんな視点から、その歴史にアプローチし、新たな「問い」を立てるか?
もちろん、その歴史に対するアプローチには、これまでにはなかった斬新な切り口が求められています(^^)
映画の中で、真知寿が試みていたのは、まさにコレなんですよ。現代アートの分野では、これが出来た人間が天才なんです。
ただし、この基準には、絶対的な「解答」はありません。求められているのは、あくまで「回答」です。

このアーティストでなければ、こんな回答はできなかった。この人でなければ、こんな問いを放つことはできなかった。

もし、鑑賞者や批評家が嘆息して、そんな台詞を洩らすような作り手がいるとしたら、彼(彼女)は間違いなく、現代アートの分野においては、天才の一人なんでしょう(^^)
私にはそれくらいのことしか想像がつきません。

長くなり過ぎてしまい、大変、失礼しました(汗)

mak********さん

2011/4/502:53:40

天才とはお金をたくさん稼ぐ人の事です。

rad********さん

2011/4/404:06:09

天才とは努力の最終形態

運命もくそも関係ねえよ

fas********さん

2011/4/219:46:10

狭い意味なら、意図せずに人類に大影響を与えてしまい、数百年後にも人々に知られている人、と思います。

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