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司馬懿と諸葛亮の戦略合戦の歴史 三國志に詳しい方にお聞きします。 司馬懿と...

ca0********さん

2011/5/401:32:14

司馬懿と諸葛亮の戦略合戦の歴史

三國志に詳しい方にお聞きします。
司馬懿と諸葛亮がお互い軍師として同じ土俵で戦った戦争は何から何までですか? (軍師として以外でも可です)

孔明は若いうちから蜀で軍師として劉備に仕えていたようですが、彼の前にはずっとホウトウがいたし、
初期の魏も郭カや荀イクが軍師として活躍していたし、司馬懿は曹操に仕えるのを嫌がっていたようですし、二人が軍師として戦場で合間見えるのはもしかしたら三国時代でも後半のほうなのかな、と思うのですが、
Wikipediaを見ても五丈原についてしか書かれていないので分からないのです……。赤壁あたりから北伐までかなあ、とかいう憶測の域を出ません。

なので、司馬懿と諸葛亮、この二人とも、どちらもが出陣している戦を全て教えてください。

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漢晋春秋さん

2011/5/402:41:55

諸葛亮と司馬懿が戦場で直接まみえたのは、正史『三國志』によれば諸葛亮による北伐、それも最後の第五次(五丈原の戦い)のみです。後に南朝宋の裴松之という人物がつけた注には第四次北伐でも司馬懿が指揮を取った記事がありますが、これは信憑性に乏しい内容なので事実とは言い難いですね。

諸葛亮は207年から劉備に仕え、孫権を説得して同盟を組み赤壁で勝利しました。その後は劉備が益州攻略に向かう際(213年)に関羽らと荊州に残ります。
しかしホウ統が戦死する(214年)と関羽を残して劉備の援軍に向かい益州を制圧します(216年)。
その後は蜀科という益州を治める基本法の制定に携わり、成都で政治に専念してしばらく戦場には出ません。
諸葛亮が動くのは225年です。まず北伐準備のために南方を制圧し(225年)、魏の曹叡即位の隙を突くように北伐を開始(227年)します。

第一次北伐はいわゆる街亭の戦い(228年春)です。この時魏軍の指揮官は曹真、副将は張コウ[合β]で、諸葛亮は祁山に進出しますが蜀軍先鋒の馬謖が街亭で敗北したため撤退します。
第二次は陳倉の戦い(228年冬)で、この時も魏は曹真が出てきます。
第三次は武都・陰平を攻略し(229年)、魏の郭淮を破ります。
第四次は再び祁山に進出します。この時に木牛・流馬を用いて兵糧輸送を行い、魏の総指揮官となった張コウを討ち取りますが、兵糧が続かず撤退します。
そして第五次の五丈原の戦い(234年)ですが、新たに魏の総指揮官となった司馬懿は持久戦に持ち込み、目立った戦闘もないまま諸葛亮は病没してしまうのです。

ちなみに、五丈原で戦った際には両者とも総指揮官、つまり将軍であって軍師としては対決していません。
諸葛亮は劉備存命中は軍師でしたが、司馬懿は最後まで将軍であって軍師的な働きをした事は一度もありません。

質問した人からのコメント

2011/5/4 03:15:18

成功 はやい解答ありがとうございます!
指揮官だったんですか……勉強になりました。

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