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スペイン継承戦争は主にフランスとオーストリアの争いと聞いていますが、結局どち...

yuk********さん

2011/6/2318:21:33

スペイン継承戦争は主にフランスとオーストリアの争いと聞いていますが、結局どちらが勝ったと言えるのでしょうか?
あと、講和条約のユトレヒト条約でオーストリアに加勢したイギリスがかなりの領土をフランスやスペインからもらっていますが、これはなぜですか?

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cid********さん

2011/6/2319:44:58

『この戦争は勝ち負けの判断が難しいです。戦闘を見るとオーストリアの勝ちです。おもな戦闘ではすべてフランスが敗れています。』
と書いている人がいますが、これは勘違いです。フランス側の将帥は引きつづき優秀であり、ヴィラールやヴァンドームといった優秀な指揮官が同盟軍を破った戦闘もちゃんとあり、だからこそ戦争は終わっています。

とにかく、
「スペイン継承戦争は主にフランスとオーストリアの争いと聞いていますが、結局どちらが勝ったと言えるのでしょうか?」
という設問の立て方が間違っているため、そういう誤解が生じます。
たしかに「スペイン継承戦争」と名乗っていますが、実際の戦争の目的とは、ルイ14世の真の野望、つまり「スペインとフランスの合同」と、その阻止です。阻止側は他の欧州諸国全部です。形式上はオーストリアが王位を狙っていたように見えますが、実際のところは、

「べ、別にスペインの王位なんて欲しくなんだからね。ただ、スペインとフランスが合同して超大国になったら、ヨーロッパが大変なことになっちゃうって心配だから、それをなんとか阻止しようとしてるだけなんだからね。そこのところを誤解しないでよね」
といった程度の立場でしかありません(でないと、そもそもフランスでなくオーストリアが全欧州を相手に回した戦争をしないと駄目なところです)。

何にせよ、フランスはこの戦争目的の達成に失敗しており、つまり、敗北しています。
また、最大の勝者もはっきりしており、それはイギリスです。


昔どっかにまとめましたが、

スペイン:「フランスと合同しないこと」を条件として、スペイン王位はフェリペ5世のものとなった。今日まで続くスペイン・ブルボン家の始まりである。
オーストリア・ハプスブルク家:スペイン領ネーデルラントとミラノ、ナポリ、サルデーニャを得た。
プロイセン:王の称号を認められた。
サヴォイア公:シチリアの領有と王号を認められた*6。
ポルトガル:南米の植民地の境界線を多少有利に引き直した
オランダ:南部ネーデルラントのいくつかの都市を得た。
イギリス:ハドソン湾地方とアカディアとニューファンドランドをフランスから、さらにジブラルタルとミノルカ島をスペインから獲得した。のみならず、スペインとの貿易上の特別待遇も獲得した。


フランスはスペイン王位とスペイン本国という最低限の目標は獲得したものの、代償としてヨーロッパのスペイン領のほとんどを手放すことになった。また、多大の戦費の負担と戦乱から来る国内の疲弊もフランス王国を苦しめることになる。

オーストリアはスペイン王位こそ逃したものの、当初の目的だった領土の獲得にはほぼ成功した(ただし、それらのうちのかなりの部分をポーランド継承戦争によって手放すことになる)。

イギリスは戦費の負担やフランス私掠船による商船の損害などを被ったものの、結果からすると最大の勝利者であり、海上覇権と貿易上の優位を確立して後の世界帝国へ向けての重要な一歩を記した。

となります。

質問した人からのコメント

2011/6/30 03:54:34

感謝 みなさんありがとうございました!大まかに理解することができました。

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s11********さん

2011/6/2323:55:25

2つの質問をまとめてしまって恐縮ですが、結局は仏・墺・英の勝ち負けは差がありません。というのはすべての負債は西に行ってしまったからです。王位継承を主張していたハプスブルクの親族は墺すなわち神聖ローマ皇帝に、仏のルイ14世は王位継承できなかったものの孫が即位、英はジブラルタルなどの領土獲得という結果ですから、西は王位、領土を獲られ、ダシにされたも同然ですから。英は北米の植民地での戦いに勝利しているのと、ルイ14世の孫が西の王位継承を認める見返りに領土を獲得できました。英は常に欧州大陸の「勢力均衡」を願っていました。仏と西の合同だけは絶対に阻止しなければならないのが目的でした。それが西と墺の合同という懸念も出たため、「名より実を取る」選択をしたのです。

str********さん

編集あり2011/6/2412:58:17

この戦争は勝ち負けの判断が難しいです。
戦闘を見るとオーストリアの勝ちです。おもな戦闘ではすべてフランスが敗れています。
ex)カルピの戦い,キアーリの戦い,ブレンハイムの戦い,ラミリーの戦い,トリノの戦い,ウデナルドの戦い,マルプラケの戦いetc
戦争終盤のフランス側の盛り返しの要因は,オーストリア側陣営の足並みがそろわなくなったことが大きいです。イギリスでは国内で政権交代が起こり,それに伴って前線の司令官が失脚しました。また神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世が亡くなってカール6世が即位しましたが継承権を持つ彼がスペイン王になり,かつてのハプスブルク帝国が復活することを恐れたイギリスは,フェリペ5世の退位に消極的になりました。

しかし戦争の名前の通り,スペインの王位継承を見るとそうとは言えません。
まずこの戦争のそもそもの原因は当時のスペイン=ハプスブルク家の国王カルロス2世は世継ぎがいなかったことです。なので血縁関係のあるフランス王ルイ14世,神聖ローマ皇帝レオポルト1世,バイエルン選帝侯ヨーゼフ・フェルディナントが相続権を主張しました。

実際に1700年にカルロス2世か後継ぎを残さずに亡くなると,ルイ14世はスペイン宮廷をあやつって,自分の孫にあたるアンジュー公をフェリペ5世としてスペイン王にすることに成功しました。ここにスペイン=ブルボン朝が開かれました。ところがこれに反対してイギリスとオーストリアとオランダが同盟を結んで対抗しました。これがスペイン継承戦争です。

講和条約としてユトレヒト条約とラシュタット条約が結ばれています(通常,ラシュタットはユトレヒトに含まれます)。結果戦闘ではフランスは負けていますが,スペイン国王となったのは引き続きフェリペ5世で,諸国はこれを承認しました。これを考慮すると負けているはずのフランスがこの戦争の名前にもあるように,目的を達成できたと言えます(ただしスペインとフランスが1つの国家になってはいけない,同じ国王が即位してはいけないという条件はありました)。

しかしその見返りとして多くの領土を相手側に譲りました。
スペイン=ブルボン朝はオーストリアに
・スペイン領ネーデルラント(オランダもこの一部を獲得)
・ミラノ
・ナポリ
・サルデーニャ
を譲りました。

またこの講和はアメリカ植民地で同時期に起きた,アン女王戦争(イギリスvsフランス)の講和も兼ねていますので
フランスはイギリスに,
・ハドソン湾地方
・ニューファンドランド
・アカディア(ノヴァ・スコシア)
を譲りました(いずれもアメリカ植民地の領土)。

またイギリスがスペインから得たジブラルタルはどさくさにまぎれて占領したもので,条約で譲られたのはミノルカ島だけです。

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