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大河ドラマ江の秀吉と利休の関係について。 私は歴史が嫌いでしたが、江を見始め...

san********さん

2011/6/2622:06:20

大河ドラマ江の秀吉と利休の関係について。
私は歴史が嫌いでしたが、江を見始めて(初が結婚する辺りからですが…)ハマってしまいました。
歴史嫌いだったので全く話の流れや人物、出来事も知らなかったのですが、少しずつわかってきて面白いです。
①利休は秀吉に突っかかったり、反発するような言動をとりますが何故なんですか?
ドラマを見る限りでは、欲深く傲慢になった秀吉を段々嫌いになり側にいたくなくったように描かれているのですが、秀吉の側についている男性(名前忘れました^^;)が言っていたように、利休が秀吉を見下しているようにも見えました。
傲慢になり、調子に乗って自分も周りも見えなくなっている秀吉を見てバカにしていたんでしょうか?
秀吉の嫌いな黒の器でお茶を出したり、なんか嫌味?な人に感じて少しイラッとしてしまいました^^;
②秀吉の側についている男性(利休を良く思ってない人)は、秀吉が見抜けなかった利休の本性?と言うか、利休の秀吉に対する本心を見抜いて事実を秀吉に伝えていたんでしょうか?
もちろん秀吉を守るために。
それとも、他の誰かが言っていたように、秀吉が利休を気に入っている事に焼きもちをやいて、利休を悪く言って秀吉の気持ちを変えようとしたんでしょうか?
長くなってすみません(>_<)
歴史苦手だったので名前もなかなか覚えられず、わかりづらい文章ですみません。
詳しい方いましたら教えて下さい!
宜しくお願いしますm(__)m

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ベストアンサーに選ばれた回答

cre********さん

2011/6/2719:26:58

秀吉と利休の関係はとても難しく、常人では理解できない部分があります。


利休は「茶道」のわび、さびの美学を自分自身一本筋を通してもっており、かの織田信長さえも「家臣」としては見ておらず、一目「特別な者」として見ておりました。


反対に秀吉は、天下取りをする前までは、利休の美学を理解していましたが、天下を取った後は心に驕りが出始め、利休を「茶頭」としてはなく、「家臣」の一人として屈服させようとします。

また、利休の美学に反する「黄金の茶室」などを作り、利休との溝がだんだんと深まって行きました。


利休はけして、厭味で黒い茶碗を出したわけではありません。それが、利休の美学であり哲学なのです。


秀吉の側にいたのは石田三成で三成は秀吉に「家臣」として従おうとしない利休を快く思っておらず、排斥するのに躍起になりました。

三成も、利休の一本筋の通った美学、哲学は理解できなかったのでしょうね。


三成は秀吉の為によかれと思ったことをこれからもしていきますが、すべて私は裏目に出で、豊臣家の命を縮めてしまったと思われてなりません。


利休が秀吉亡き後も生きていたら、豊臣家はまたちがったものになったはずです。

「外のことは秀長(秀吉の異父弟)に内々のことは利休に」とまで言われていたので、利休には政治力もあったのでしょうね。

この二人の死が、豊臣の家の滅亡を早めたと言っても過言ではありません。


天下取りをした後の秀吉は、その前の鋭利な秀吉ではなく、目先の利益しか考えなくなり、そのために大事な人々を次々と失っていきます。

正室北政所もその一人です。

茶々と実子の秀頼を可愛がるあまり、彼女を無下にしてしまったのは失策です。


北政所は秀吉の死後、大阪城を徳川家康に明け渡し、京都三本木に隠居します。

しかし、彼女の影響力はすごく、秀吉子飼いの大名、加藤清正や福島正則らはこぞって徳川家康に馳せ参じました。


そして、周知の通り、小早川秀秋の劇的な裏切りにより家康率いる東軍は関ヶ原で大勝します。

この秀秋は北政所の実の甥に当たります。


彼女の指示があったかどうかはわかりませんが、ないというのは余りに不自然です。


秀吉の死後の北政所の行動は、「豊臣家に見切りをつけた、茶々と秀頼に見切りをつけた」と言っても過言ではありません。


秀吉も生前に、いくら実子を得たとはいえ、北政所を粗略に扱わず、北政所を秀頼の嫡母(正式なる母、つまり生母ではないが母)としていれば、豊臣家は滅亡しなかったでしょう。


話が脱線してしまいましたが、ご参考になれば幸いです。

質問した人からのコメント

2011/6/30 10:42:16

お二人ともご回答ありがとうございました!
カナリ勉強になりました(^-^)
BA迷いましたので一番にご回答下さった方に差し上げたいと思います☆

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

tha********さん

2011/6/2914:23:02

利休は茶人として有名です。

わび・さびの世界などと、能書きたれています。

織田信長は自分に都合がよければ、どんな宗教だって認めるし保護もします。

信長は一つのステータスとしてを利用とします、都の公家などは昔からこのような茶器などを集めて、文化人を気取っていたのです。

信長は、配下の武将に、自分の許可が無ければ、人を招いての茶会は開いていけないとしました、皆出世したがり信長から茶会を開く許可をもらうことが夢となります。
阿呆などは(滝川一益などは国など欲しくなかった、あの茶器が欲しかったと嘆いています)、命をかけた滝川配下の武士は憤慨し呆れたそうです。

でも、利休の言うわび・さびの世界など理解に苦しむとは言えないし、こんな茶器のどこがいんだとも言えないよね、何となく知ったふりしないと田舎者とバカにされちゃうでしょ、秀吉など特に百姓あがりだから絶対にそんな陰口叩かれたくないよね。

家康などは、茶を茶として飲むが、高価な茶器など集めたりなどはしていません。
対して秀吉は、信長後継者として、利休の言う茶の世界を心から理解しようと努めるのですが、全然理解など出来ません。

百姓が仕事の合間に、あぜ道で茶を飲むことから始まった精神ですからして、黄金の茶室など秀吉の行うことがすべて利休の精神から離れていくのです。
それでも秀吉はかつての信長のように、茶の良き理解者であろうとしたのですが、利休の精神とどうしてもぶつかってしまったのですよ。
ピカソの絵のどこがすごいのか、全然わからんのに良き理解者であろうとして、やがてピカソのあのへんてこりんの絵に激怒するようになるんだね。

石田三成は、そんな秀吉の心を見透かせる男です、だんだん自分の言うとうりにならない利休を秀吉は毛嫌いするようになるのです、でも茶の精神で敗北するわけにいかないから、後の家康のように難癖つけてでも利休を滅ぼそうと、三成は利休がこんなことたくらんでいるようだ、このままだとこうなるだろうなど、憶測で物を言いそれに秀吉は乗ったのですよ。

茶の精神性まで手に入れて、自分の意に沿うようにしたかった秀吉が、真っ向から利休にぶつかったのですが、とうとう負けてしまったというのが本質ですね。

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