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昔の小説家、近代文学の江戸川乱歩や太宰治、あたりの文学者たちは、なぜ難解な漢...

dai********さん

2011/6/2814:14:38

昔の小説家、近代文学の江戸川乱歩や太宰治、あたりの文学者たちは、なぜ難解な漢字をしっていたのですか? よんでも読みが難しい漢字や 画数が多い漢字があります。剽窃「ヒョウセツ」とか橇「ソリ」とか眸「ひとみ」とか鑞梅「ロウバイ」とかいう漢字をなぜしってたんですか?みんな知ってた漢字「このころは書けて同然」だったのかな?それとも彼らは勉強できた環境にいたのか、お金持ちの仕事だったのか、当時書いたときは暮らしはよかったのか よくなったのか 文学者の給料やステータスはどのほどだったのか教えてください

補足当時勉強できたということは お金持ちなんですね。
海外文学を見る(つまり所蔵)には、英語をしらないとわかりませんよね?訳されたのを読んだわけではないのですよね。
また海外文学を入手するには値段の程度や流通は容易かったのでしょうか?
今に残る文学を提出したあとは給料はよかったのですか?また文学者の地位や世間体はいかに

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ベストアンサーに選ばれた回答

赤い撞球さん

編集あり2011/6/2820:11:03

まず解っていただきたいこととしては、当時はそのくらいの教養がなければ物書きにはなれなかったのです。 家庭の状況は様々ですが、文士で身を立てようとするなら、漢文学や外国の文学をいろいろと読みこなし、インテリ層である読者に関心を持たれることが必要でした。 そのために彼らは若い頃から漢籍を読みあさり、外国語を憶えて、必死に勉強をしていたのです。
家がある程度裕福であればそれに越したことはありませんが、そうでないものは書生という形で師匠と仰ぐ人の家に住み込み、雑用をこなしながら、その所蔵する本を読ませてもらって教養を身に付ける人もいました。
その一方、高等遊民という大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている階層もおり、その中からも文学者や美学者(今で言う評論家)が輩出されました。
文士というものは、当時は大して稼げる稼業ではありませんでしたが、ある程度ファンがつくと、後援してくれるパトロンが付く場合もありました。 昔の画家や作家の生活は、そうした富裕層の理解ある(もしくは見栄も混じった)援助によって成立していたともいえるでしょう。

補足への回答)
苦学した人もいると説明しているつもりなのですが、分かりにくかったですか。まあ何にせよ、勉強できる環境を得ることができた事には違いありません。 才能を認められて、有名作家の知己を得、デビューに至った石川啄木のような例もあります。 彼自身は生涯貧乏でしたけど。 海外文学については原書で読む人も多かったですが、英語以外のものは流石に無理だったでしょう。 詩集などはニュアンスを掴むのが難しいので、よく翻訳されていたようですし、特に有名な文学作品は次々に邦訳されていきました。 本の値段は今の物価の感覚で考えれば、かなり高かったですね。 本への出費は収入に対してかなりの部分を占めましたし、神田の古書店街ができ、学生が群れ集った理由がそこにあります。

給料、というか、原稿料・印税ですよね。 最初の頃は一枚幾らの原稿料しかなく、印税方式は森鴎外が主張した時から始まります。 流行作家となればもちろん原稿料は多く貰えますが、書き続けていないと儲かるところまではなかなかいきません。 ある程度有名になるまでは教師や新聞記者などの本業を持っている人が多かったと思います。 社会主義運動に参加する人もいたので、貧乏作家も相当数いましたね。 世間体は・・・まあインテリ代表ですから、良い方といえるでしょう。ただ、明治大正の作家はとかく病弱だったり、変人や精神不安定の人がいましたからね。 芥川龍之介も太宰治も結局自殺しましたし・・・。 難しいところです。

質問した人からのコメント

2011/7/4 21:34:22

よくわかりました♪ありがとうございました

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