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Beatlesについて、誰もしらないうんちく的なことを教えてください。

mcc********さん

2011/7/308:02:33

Beatlesについて、誰もしらないうんちく的なことを教えてください。

ビートルズ来日45周年を迎えましたね

自分は、ビートルズが大好きで、すべての原点がビートルズにあります。
もっともっとビートルズを知りたいし、好きになりたいです。

自分は、残念ながら、ビートルズの時代に生きていなかったので
まだまだ、知らないこともかなりあります。
ビートルズマニアの方、よろしくお願いします。

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mot********さん

2011/7/319:32:47

数年前に、横浜で小さなビートルズ展が開いていて、そこでホワイトアルバムを見ました。
当時のホワイトアルバムはジャケット表に通し番号がうってありますよね。
で、そこに展示したあった番号は、なんと1番!と3番!!
000001 と 000003です。
通し番号だから、まあ存在はしているんだろうとは想像はしたことはありましたが、実際目の前で見た時は目が点になりました..。当然イギリス原盤で。

説明書きで、確か1番はリンゴスターの物で、3番はジョンレノンの物だったそうです。
と、なると2番はポールで4番はジョージだったのかなぁ?なんて想像しましたw
どちらとも、傷みもなく非常にキレイな代物でした。

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ベストアンサー以外の回答

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ble_runさん

2011/7/423:40:48

rb325jlbkさんに乗っかっちゃいましょう。

後のマネージャー、ブライアン・エプスタインの経営するレコード店「ネムズ」に、(ビートルズがバック・バンドとして演奏する)トニー・シェリダンのレコードの有無を聞いた青年の名は「レイモンド・ジョーンズ」。
レコードは「マイ・ボニー」(これはアンソロジーで聞けます)。

即ち、彼らの幸運の女神は「レイモンド・ジョーンズ」。

・・・と思いきや、実は直後に「トニー・シェリダンのマイ・ボニー」の有無を聞いた「女の子」がいたらしい。名前は分からない。
多分、一見さんなんでしょうね。

同日に、同じ歌手の同じレコード、しかもバック・バンドは近所で連日ライブが大盛況、と聞けば誰だって「キャバーン」を訪れますよね。

私は、この女の子こそが「真正・ポップスの女神」と思ってます。

としさん

編集あり2011/7/411:49:39

誰も知らないと言うわけでもないけど、デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」のハーモニカは、亡くなった元メンバーのスチュアート・サトクリフに捧げたものである事をピート・ベストが証言しています。
ポール作の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」やジョンの「ハロー・リトル・ガール」等の秀逸な曲があったにも拘らず、ブルージーに仕上げた「ラブ・ミー・ドゥ」を選んだところにジョンの拘りを感じます。
その「アイ・ソー・ハー~」を含む「プリーズ・プリーズ・ミー」のアルバムはジョージ・マーティンのアイデアでキャバーン・クラブでのライブを収めた物にしようと計画しました。そこで、ハーモニカをフューチャーした「アイ・ソー・ハー~」と8ビートの(レット・イット・ビー収録は4ビート)「ワン・アフター・909」のリハーサルを録音しますが(この音源を含むコレクターズ・アイテムのCDをオークションで手に入れましたが)音響が思うように行かず没になります。
http://www.youtube.com/watch?v=1smXxomztPA&feature=related
結局スタジオ撮りで約30分のライブを再現したようなデヴューアルバムとなりました。「アイ・ソー・ハー~」はハーモニカを入れず、テンポをアップさせた現行盤が収められています。
それにしても、ブライアンがマネを買って出る、マーティンがライブを再現したがるそのキャバーンでの演奏はどれだけ凄いかという事でしょう。

さらにアルバム「SGT・ペパーズ~」のジャケットにはスチュアート・サトクリフの肖像があり、ジョンの付けている勲章はピート・ベストのおじいさんが頂いた勲章を借りてきた本物。
どこまで行っても、民主的で仲間思いのメンバーだった。

そのピートですが、アンソロジー1のCDではピートの音源が5曲も入っていてとても喜んだそうです。ポールをはじめメンバーの気持ちが一矢報いたようです。

wal********さん

2011/7/313:34:49

ビートルズのマニアではなく、ファンですらありませんが(ラトルズやレジデンツのほうが好き)、馴染みの古本屋さんで大量にビートルズ関係の古本を買ったことがあります(なぜかは忘れました)。
「ビートルズ海賊盤事典」や「ザ・ビートルズ・レポート」、「ビートルズ詩集」(片岡義男 訳)その他。
この「ビートルズとヴィジュアル・アート」(1986 日本テレビ)は、リヴァプール・シーンにいたマイク・エバンスの著書。
シンシア・レノンや、スチュワート・サトクリフのえや、オノ・ヨーコの展覧会の写真、メンバーがヒルトンの部屋で描いた合作などを含む、面白い本です。
マイク・マクギアの写真も載ってるのが、嬉しい。わたしと誕生日が同じだから。

ビートルズのマニアではなく、ファンですらありませんが(ラトルズやレジデンツのほうが好き)、馴染みの古本屋さんで大量...

mah********さん

編集あり2011/7/311:01:11

ビートルズがイギリスでデビューしたのは1962年。翌1963年にはイギリスで一躍スターとなります。
イギリスの発売元Parlophoneは契約しているアメリカのCapitolに売り込みますが「イギリスのバンドの音楽」など相手にされず、アメリカではVee-JayやTollieといった他のレーベルから発売されることになりました(これが後にひと悶着となりますがここでは割愛)
そんな1963年にそのアメリカCapitolレーベルが発売した「英語ではない外国語」の曲がNo.1となる珍事が発生しました。日本の坂本九の「スキヤキ」(上を向いて歩こう)です。
その後Capitolは1963年末に大々的にビートルズを売り出す事を決め、翌1964年にはそれが大当たりしてアメリカで大旋風が巻き起こる訳ですが、この方針変更のきっかけのひとつに1963年の自社からの「外国語の曲」のヒットがあるのではないかと勝手に推測しています。

ビートルズがイギリスでデビューしたのは1962年。翌1963年にはイギリスで一躍スターとなります。...

jgi********さん

編集あり2011/7/310:56:59

ビートルズには脳出血で夭逝したスチュの他に、レコード会社との契約にこぎつけたあと、プロデューサーのジョージ゙・マーティンにドラムの演奏力がないからと当時他のバンドに所属していたリンゴ・スターと交代させられ、解雇されたピートがいました。

かつての仲間だったジョン、ポール、ジョージがその後スターダムを駆け上がっていく後ろ姿をただ遠くから眺めるしかなかったこの人の気持ちってどんなだったのか...下記の本を読んでみるのもいいかもしれません。

もう一人のビートルズ―ピート・ベスト・ストーリー
http://amzn.to/kWQhl2

ビートルズには脳出血で夭逝したスチュの他に、レコード会社との契約にこぎつけたあと、プロデューサーのジョージ゙・マー...

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