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映画「二十日鼠と人間」について

ris********さん

2011/7/2421:07:36

映画「二十日鼠と人間」について

「二十日鼠と人間」ゲイリー・シニーズとジョン・マルコヴィッチの作品を
観ました。

タイトルを調べると

~Of Mice and Men~はスコットランドの詩人
ロバート・バーンズの詩「ハツカネズミ」の第7節からとられています。
二十日鼠と人間のこの上なき企ても
やがて のちには 狂い行き
あとに残るは ただ単に 悲しみ、そして 苦しみ
約束のよろこび 消え果てぬ

------------------------------------------
とありますが、はたしてどちらが二十日鼠でどちらが人間だったのでしょうか。
もしくはどちらもそうではなく、人間も二十日鼠も似たようなものだという
解釈なのでしょうか。

私としてはゲイリー・シニーズが二十日鼠で
ジョン・マルコヴィッチが人間の様な気がします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2011/7/2501:54:31

この映画もバーンズも大好きな人間です。
まあ、解釈についてはマルコヴィッチがハツカネズミということで。
バーンズの詩には人間という生命の悲しみが描かれているんですね。その悲しみとは過去を知ることだということなんですが、それは人間が営々と築いてきた文明文化というものを背負っているのだということ。
我々もまた生命なんだけど、生命のあるがままのようには生きられないのだという悲しみなんです。
バーンズはスコットランドのハイランダーであることを生涯の幸福として生きた詩人です。物凄い貧乏な生活だったけど、いつも人に優しく、彼に会った人間はみんな彼のことを愛した。生涯を一農夫として生き、死んでいった。
その生き様に何があったのか。それは世界への限りない愛なんですね。その愛情がネズミという小さな生命にまで及び、それを殺さねばならない自身の生き方を悲しんだ詩なんです。
生命は素晴らしい。命を輝かせて生きているから。でも人間はそこから離れ、人間の生き方というものを生んでしまった。作物を守るために作物を盗むネズミを殺さねばならない。人間の都合で生命を殺す。それが人間なんです。
バーンズは人間というものを透徹している。人間は過去の記憶を持つからこそ人間なんですね。
動物と人間の違いはそこなんです。人間には人間だけが持つ大脳新皮質というものがある。これは膨大で精緻な記憶装置なんです。だから過去の経験を全て溜め込んで、いつでもそれを利用することが出来る。それが文明文化を生んだ。
そのことが人間を生命から引き離した根源でもある。生命の在り方から人間存在としての在り方へ移行したんです。
そういうことが最後の一節に書かれている。ネズミに向ってお前はまだいいのだと。今しか生きていないから。今恐怖することも死ぬということの意味もわからずに逝く。でも人間である自分は全てのことを覚えていながら生きていかねばならないんですね。
でも我々が思い至らねばならないのは、何故バーンズがこうもネズミの生に拘るのか、とうことなんです。それを描いたのがスタインベックの原作なわけで。
この小説の舞台は1930年代のアメリカです。ローリング・トウェンティと呼ばれた狂乱の20年代を経て、アメリカは古き良き時代を捨てて今の富を求める卑しい時代に突入した。
その悲しみなんです。
あの二人、レニーとジョージは古き良きアメリカの象徴なんですね。レニーは人間の純粋性であり、ジョニーはそれを守護する存在。レニーがハツカネズミとして描かれた人間の悲しみであり、ジョニーはそれをいとおしむバーンズなんです。
大して30年代から狂っていくアメリカの象徴がカーリー夫婦で。消費文明に冒された冷酷で愛を喪失した人間たち。
この世で純朴に生きる者たちがハツカネズミであり、知恵者がそれを守ってきた世界から、我々は移行してしまったんです。バーンズの詩もそれを見据えているものなんですね。決して自然愛護だけの詩ではない。
アメリカという国はピルグリム・ファーザーズというピューリタンの純潔な人間たちが建国したんです。誰もが神に従順であろうとし、高潔な魂を持っていた。それが失われていく悲しみを描いたのが原作なんですね。

この映画もバーンズも大好きな人間です。
まあ、解釈についてはマルコヴィッチがハツカネズミということで。...

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warui-inagoさん

2011/7/2423:38:01

良い映画でしたね。ゲイリー・シニーズとジョン・マルコヴィッチの演技がどちらも素晴らしかったから、あれだけ有名な文学作品を損なう事無く映画化できたのではないかと思います。

ご質問ですが、基本的にどのような解釈でも、間違い又は正解という事はないのではないかと思います。
バーンズの元の詩の解釈も、鼠を憐れんでいるいるとも、人間を憐れんでいるとも、またもっと他の解釈も成り立つと思います。また、スタインベックが、バーンズの詩をどう解釈し取り入れたのか、これも様々な解釈が成り立つと思います。

バーンズの詩の7節は、お書かきになったように、

鼠の運命も人間の運命も、結局どうなるかはわからず、人間もまた苦しんでゆくだろう・・・という意味のことが、

また、詩の8節は、

小さな存在である鼠も、私より幸せである。今を生きるだけでいいから。人間は、過去に縛られ、未来に不安を抱かねばならないから・・・

という意味の詩で、締めくくられています。

私は、「二十日鼠と人間」は、「二十日鼠も人間も、何ら違いがない。」という意味に、解釈しています。

違いがないというのは、生き物として一緒というより、
「二十日鼠の運命を左右できる人間は、力を持っていると思い込んでいるけれど、その立場は簡単に入れ替わってしまう。」
だから、両者には違いがない、という意味で解釈しています。

マルコヴィッチは、農場主や社会そのものの意思によって、消滅させようと思えば、いつだって消滅させられるような存在でした。しかし、彼は同時に他の命を奪う存在でもありました。
私は、マルコヴィッチは二十日鼠であり人間であり、彼以外の全ての”頭の良い”人たちが、人間であり二十日鼠であったのだと思います。

質問者さんのご解釈の、シニーズが二十日鼠で、マルコヴィッチが人間だった、というのは考えた事がありませんでしたが、頭の中で何度もその意味を咀嚼してみたら、なるほど、とも思えました。

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